ワルキューレシリーズ
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 はるか昔のお話です。ここマーベルランドの人々は、永遠の命を持っていました。そのため、人々は多くなりすぎ、やがて飢えと欲望のため争い合うようになりました。そんなありさまを見かねた神様は、マーベルランドのはるか奥に大きな時計を置きました。そして、その時計に「時の鍵」を差し込みました。いつかはこの世から去る「死」というものを全ての人々に与えたのです。そして、人々は年を取り平等に「死」が訪れるようになりました。その結果、人々は争いをやめ、お互いを思いやるようになったのです。
 ところが、ある晩のこと、一人の男が死を恐れるあまり、「時の鍵」を抜き取ってしまったのです。その瞬間、時の狭間に追いやられていた悪魔の化身ゾウナが蘇ってしまったのです。ゾウナは「時の鍵」を抜き取った男を瞬時に殺し、「時の鍵」を奪いました。そして、時を操り、様々な悪魔をマーベルランドの各地に解き放ったのです。こうして、マーベルランドはかつてのような恐怖と絶望の闇に閉ざされていきました。
 救いを求める人々の声は天界にも届きました。神の子ワルキューレは、ゾウナを倒す決心をし、人間の女戦士の姿で地上に降臨しました…。

 女神ワルキューレが降臨したという噂は俄かにマーベルランド中に広まりました。マーベルランドの人々に再び希望が戻ってきたのです。
 しかし、一人の若者だけは違いました。いくらワルキューレが神の子とは言っても危険な手下どもを倒すのはそう簡単なことではない、ましてゾウナに一人で立ち向かうなんて…。若者の全身には勇敢なる血が流れているのです。
 若者はワルキューレの手伝いをする話を両親にしましたが、猛反対されました。両親としてはそんな危険な旅に自分の子供を行かせるわけにはいかなかったからです。しかし、若者はただじっとしているわけには行きませんでした。両親が寝静まった頃、若者は旅の支度をしました。両親に黙って旅立つのです。若者が外に出ると、かすかに東の空が白くなりかけていました。夜明けが近いのです。
 街の大通りを歩いていくうちに家がだんだん小さくなっていきます。若者はふと後ろを振り返りました。今度家に帰ってくるときはゾウナを倒した英雄となっているのでしょうか?あるいは、家を見るのはこれで最後かも…。雑念を払い、若者は再び大通りに向かって歩き始めました。いまは考えるより行動すべき時なのです。冒険の旅はすべに始まっているのですから……。
 この、ワルキューレと共に闘おうと旅を始めた若者こそが、この冒険の主人公です…。

 『ワルキューレシリーズ』は、株式会社ナムコが1986年に製作した「ワルキューレの伝説」のゲームブック化です。著者は本田成二氏です(但し『迷宮のドラゴン』は木越郁子氏との共著)。「ワルキューレ」という言葉自体が「女戦士(バルキリー)」という意味を持っており、ウィザードリィのバルキリーは「女性の魔法戦士」に相当し、魔法も使える優秀な戦士を意味します。まさしくワルキューレは神の申し子というにふさわしいと言えるでしょう。
 しかし、この冒険の主人公はワルキューレではなく、ワルキューレとともにゾウナに立ち向かう若者なのです。一巻目『迷宮のドラゴン』ではワルキューレに追いつかず、二巻目の『ピラミッドの謎』でワルキューレとの出会いとなり、第三巻目の『時の鍵の伝説』でやっとワルキューレと同行することになります。神の申し子であるワルキューレと人類とが協力し合うという設定はなかなかのものです。
 経験値によるキャラクターの成長や、武器・防具、食料・金貨・魔法の品、その他のアイテム また、道中出会う人々や街、そして仲間など、様々な魅力あふれるものが登場します。
 今回の魔法システムは、使うときの項目番号に指定の数をたすという方式です。戦闘と特に指示された場面で使えるという断り書きはよかったのですが、実は結構計算が面倒という見方もあります。「炎の術」「透視の術」「ガラス(透明)の術」「星笛(金縛り)の術」「稲妻の術」と5つの術の専用パラグラフを用意し、各番号での処理をするという「パンタクル」システムにすると良かったかと思います。尤も「ワルキューレシリーズ」は「パンタクル」よりも前の作品ですから、このワルキューレシリーズの煩わしさから「パンタクル」の魔法システムが考案されたという見方もなくはありませんが。
 戦闘においても、この作品独自のルールがあります。それは、敵が多いときは多い敵の数だけ敵の攻撃力をたす(例えば、自分1人で3人の敵と闘うときは2人多いので敵の攻撃力に2をたす)というルールです(実は、この戦闘ルールは『凶兆の九星座』の戦闘ルールとよく似ています)。
 そして、何といってもこのシリーズの特徴としては、巻どうしのつながりぐあいが比較的自由に出来ているということです。
 しかし、『元祖ドラゴンバスター』と同じく、私のこの作品に対する全体的な評価はあまり良くありません。その理由としては、2つあります。
 1つ目は「魅力ポイント」です。「善い」ことをして「魅力ポイント」が増えるという表現は個人的には嫌悪感が増します。それは「魅力ポイント」ではなく「正義ポイント」という方がふさわしいのではないのでしょうか。これについては第2巻『ピラミッドの謎』で詳しく述べることにします。「T&Tがよく分かる本(清松みゆき著、1988年社会思想社)」で「顔が美しいからといって、いつも偉そうにしているのは魅力度が低い証拠だ」とあるのは、ワルキューレシリーズの魅力ポイントのことを諷刺しているのかもしれません。
 そして、2つ目ですが、これはこの作品において私が最も気に入らない点です。これについては3巻目の『時の鍵の伝説』にて。
 ただ、各々の物語(ニスペンとコレットの兄妹仲のよさやサンディの秘密など)はすばらしいものです。著者も当時の新システムを考案するにはよほど苦労したと思います。それでは、各巻を見てみることにしましょう。

『迷宮のドラゴン』
『ピラミッドの謎』
『時の鍵の伝説』

2008/01/01


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