ギャランスハート


 アリス・カエン、まだ少女だった頃に両親を亡くしてからというものの傭兵稼業で身を立てて来た女戦士である。
 ある日のこと。アリスに教会から依頼が来た。このところ赤字続きで剣も鎧も質に流してしまっていたアリスにとっては夢のような依頼だった。アリスは碌に内容も聞かず引き受けた。
 教会の話によると、妖魔界アズルヤクナに棲む雷魔王アズルヤックと教会との間には契約があり、200年に1度教会の使者がアズルヤックに“親書”を持っていかなくてはならないという。そして、今年がその200年に1度の年らしい。教会側は親書も使者も既に準備が整っているが、200年前のことゆえ、教会では誰も妖魔界への行き方を知る者はいない。そして、首尾よく妖魔界へ着いたとしても、妖魔界は危険極まりない。早い話、教会の使者の護衛がアリスの任務である。破格の報酬額にアリスは笑顔で引き受けた……が、教会の使者の姿を見て、アリスの脳裡に一瞬後悔の念がよぎった。その使者というのはキーアという年端も行かぬ僧侶で、世間知らず宛らの姿だったからである。
 こうして、アリスとキーアの二人旅が始まった…。このアリス・カエンこそが主人公である。

 「ギャランスハート」は、東京創元社刊行の最後のGBです。著者は『エクセア』でお馴染みの宮原弥寿子氏です。
 「ギャランス(garance)」とはフランス語で「茜色」を意味します。茜色の心臓、即ち雷魔王アズルヤックの巨大な心臓(ルビー)ということですね。
 読み進めていくとわかりますが、これは『エクセア』の後日談にあたる作品です。後日談とは言っても、「エクセア」復興から1万年の未来の話ですが。妖魔界の「悲しみの国ジェナン」、ジェナンの君主ユージス、そしてユージスの持っていた鸞凰飛翔剣など、『エクセア』にも出てきた言葉が本作品にも登場します。
 この冒険の大きな特徴は、何と言っても道中の登場人物です。アデイルの<星織姫>やメリノ山の神人、ヴァレリィ(後のクロイツ)、カイン&ミュウナ夫妻、ジェナンの<守護者>アイギス、アイギスの母、魔神アシタロテ、<獅子王院>、闇の神リューンなど、個性あふれる人物が登場します。しかし、何と言ってもこの冒険における最重要人物はフレディです。軽いノリで登場しますが、するべきことはしっかりする頼もしい存在です。それにしても、フレディとアイギスは一体どういう仲なのでしょうか。
 ところどころ、刊行当時(1992年8月)の世相が出ていたりします。例えば、357番の「月は総てお見とおし」とは、疑いようもなくセーラームーンからの引用です。セーラームーンの影響力は現代にも広範囲に及び、太陽系惑星の英語(火星=Marsなど)をセーラームーンで覚えたという小学生の女の子もいるくらいです。
 この冒険は、実はマルチエンディングです。キーアを無事に雷魔王アズルヤックの宮殿まで送り届ければ、そのまま帰って来ても一応は「クリア」ですが、当然ながらこれは真のエンディングではありません。この冒険の真のクリアルート(アズルヤックを討伐しキーアを救出し人間界に凱旋)に到達するためには、キーアの錫杖の刻印や登場人物から得る必須アイテムなどの取りこぼしは一切許されず、正確なルートをたどる必要があります。ですから、十分な準備が整っていない場合は、妖魔に人間界に戻してもらう手段を取るという選択もなくはありません。
 ストーリー性、パズル性ともに精密な構造をしていますが、本作品に関する私の総合的な評価はそう高くはありません。
 まず、EP(Emotional Point)における明確な説明がされていません。+3〜−3まで変化するのは書かれているのですが、キーアの心情の変化が明記されていません。読み進めると、+3はキーアが怒りに満ちていることを意味し−3はキーアが悲しみに満ちていることを意味することが推測されますが、これですと、ジェナンに入るとき(515番)矛盾が生じます。389番の砂漠ではEPは減りこそすれ増えることは一切ありません。それなのにEPが+1以上でないとジェナンに入れないというのは、プレイヤーには何の非もない「ツマリ」となります。あるいは、これは印刷ミスでしょうか。
 冒険の序盤で「ツマリ」が生じる場合もあります。1番の地図を見れば、目ぼしいところをほとんど取りこぼすことなくたどる道筋は発見できることはできるのですが、それはかなり酷な面もあります。しかも、<黒の星>を入手する機会はただの一度きりしかなく、それもほとんど運任せと言っていいほどの確率です。アデイルでの処理が雑過ぎて、行くべき所に全て行ったにも関わらず、110番で「次はどこへ行こう?」とあっては腹立たしいことこの上ありません。せめて「妖魔界へ行くことが出来なければ任務の失敗を意味する。もう一度最初から出直すこと。」という指示があればまだましでしたが。
 クエラの酒場(23番)とアデイルの酒場(492番)における乱闘での結末が首尾一貫しないのも気に入りません。クエラの酒場でフレディがならず者たちをやっつけたときにはフレディが感謝され、それを見習おうとしたアリスがアデイルの酒場でならず者たちをやっつけたときにはマスターが弁償を求めてくるというのでは、理不尽極まりありません。アデイルのマスターは恩知らずとしか言いようがなく、それが腹立たしさをより一層増しています。
 69番でキーアが盗賊の娘に治癒をかける場面で「EPのペナルティー」とありますが、これは「EPの修正」とすべきです。キーアのEPが+2、+3の場合はサイコロの目に加算されるわけですから、これを「ペナルティー」と表記するのは不適切です。
 そして、個人的には何といっても前作『エクセア』からの悪影響が目につきます。具体的には、雷鳴剣とユージス・ルートの2つです。
 『エクセア』では「鸞凰飛翔剣と雷鳴剣は対をなす」という設定だったのにも関わらず、本作品では雷鳴剣の“ら”の字すら出てこないのは、著者自身が自分に嘘をついたことになります。本作品を以って「雷鳴剣は鸞凰飛翔剣の単なる付属品」であることを著者自身が是認してしまいました。
 闇の星ユージスが、1万年の昔世界を支配しようとした理由は267番にありますが、それとてユージスが十分な罰を受けたとは到底思えません。本当にエノアを復活させたいのならば、家督を捨てて白魔術に励むくらいの覚悟はあったはずです。
 その他、「ありえない条件」も多々ありますが、それは例の場所にて…。
 こうしてみると、私はどうも女性作家に対して辛い評価を出しています。日本の女性ゲーム作家の共通点としては、己(人間)の存在を卑下し過ぎていること、そして理不尽で合点の行かぬ結末、この二点に集約されます。

 この作品の刊行を境に21世紀の初頭まで、どの出版社からもゲームブック(ゲームノベル)はほとんど刊行されなくなりました。1990年代の「新型ゲーム機の誕生」とは反比例して「ゲームブックの衰退」が起きたと推測されます。今振り返ってみると、これこそ社会思想社が倒産する前兆だったのかもしれません。

2010/08/15


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