まるで毒蛇がとぐろを巻く巣のように、川の三角州の奥深くにドリーがある。ドリーは、邪悪な異形の生き物すべてを引きつける磁石のようなものだった。そもそもこの村は、おぞましい魔術を使った罪でサラモニスの町を追放された魔女、ロミーナ・ドリーが建てたものである。ロミーナは予言や呪い、愛の媚薬や病気の治療といった月並みな魔術に飽き足らず、生命そのものの本質を追求しようとしたのだ。ロミーナはマランハ――ある生き物の器官を、魔法によって他の生き物に移植する――の研究に取りつかれ、何とかして新種の超人的な生き物を造り出そうとした。それによって、サラモニスの貧民街に数々の奇形――人間と他の動物の混血――が誕生した。ロミーナの魔術は生命に対する冒涜であった。サラモニスの神々は彼女の研究を快く思わず、そのためにロミーナ・ドリーは町から追放された。
ロミーナは鎖につながれ、サラモニスのはるか北の地、ディードル川とクモの川が交わる地点で解き放たれた。彼女はそこに居を構え――そして実験を続けた。
ロミーナの信奉者や、仲間の魔女達は彼女を見捨てなかった。邪悪な人々がロミーナに会いに北方への巡礼を繰り返し、彼女とともに住んだ。やがて村ができ、その存在は各地に知れ渡った。アランシアの他の地域からも魔女が集まり、ドリーの村は黒魔術の実験を行う魔女達で、そして、マランハの術をロミーナから学ぶ人々で、栄えて行った。
ディードル川を上り下りする者や、たまたまドリーの村を通りがかった者は、恐ろしい光景を目にすることになった。村の通りは、名状しがたい奇形の怪物、そもそも生きて動いていることが信じられない哀れな化け物であふれ、それが汚らしい廃屋で必死に生き永らえようとしていたのだ。化け物たちは、身を守れない者や逃げられない異形の仲間を共食いして飢えを凌いでいたのだ。地獄の亡者ですら、マランハで造られた怪物に比べれば幸せだっただろう。
魔女達はマランハの怪物に満足していた。彼女らにとって、怪物は単なる実験の産物であり、哀れみにも値しない「もの」であった。怪物たちは食料、ペット、そして更なる実験の材料に過ぎなかった。中でも醜悪な者は村を訪れた商人に売られ、アランシア各地を巡るサーカスで見世物にされた。
ドリーの悪名は遍(あまね)く広がり、貪欲で抜け目のない商人達は村に注目した。魔女は人目につかないところで一人ひっそり暮らしているのが普通だったので、魔法を商売にすることは甚だ困難だった。もしドリーの村と取り引きができれば、莫大な利益をあげることができるだろう。薬や媚薬、まじないや魔法を一つの村からいくらでも買うことができるのだ! しかし、村の正確な位置を知る者は一人もいなかった。たまたま村にたどり着いた魔法と無関係な旅人はすべて、最初は手厚くもてなされ、油断したところで薬を盛られた。そういった旅人こそ、マランハの実験材料だったのだ。
何人もの商人が珍しい果物や宝石、絹の織物や香料を携えてドリーを訪れ、二度と戻らなかった。彼らの大半は実験の途中で死に、生きている者ももはや人間と呼ぶことはできなかった。トカゲの頭やマンギーの頭脳、カニの腕を持つ者を人間と呼ぶことができるだろうか?
ドリーを訪れ、無事に出てくることができた最初の商人は、マイアウォーターのギャンガという男だった。彼は、魔女と取り引きするためには魔女が必要としている物、しかも滅多に手に入らない物を持って行かねばならないと考えた。彼は香料ではなく、薬草――スカル藻、メデューサ草、呪い葉、清め草などを携えていた。また、マンティコアの毒やエルフの目、干したゴブリンの肝臓や煮詰めたグラップの汁なども彼の荷の中に入っていた。魔女達は喜んで彼の商品を買い、ギャンガはあっという間に大金持ちになった。何年かして、他の商人達も魔女が欲しがる商品に気づいたが、それまでドリーとの商売はギャンガが完全に独占していたのだ。
魔女達は絶対によそ者と付き合おうとはしなかった。滅多に村の外に出ようとはせず、出るとしても魂だけの姿ということがほとんどだった。しかし、ロミーナの妹達だけはそうではなかった。彼女達は喜んで外の世界を歩き回り、旅人や“用心棒”の前に姿を現した。トロール牙峠にドリーの三姉妹の悪名が広がっていった。確かに彼女達は不意に現れて旅人を驚かせたり、彼らをからかって無意味な探索に就かせたりしたが、実際のところ人間に害を及ぼしたことはなかった。彼女達は人間に対して母性本能のようなものを持っていたに過ぎない。それでも人々がドリーの三姉妹を恐れたのは、ドリーの魔女達に関する先入観(三姉妹以外の魔女達に出遭うことは、旅人にとって災厄以外の何物でもなかったゆえ)であろうか。
ドリーが世界を離れていてくれたら、人々は幸せだっただろう。しかし、三姉妹の他にも、数少ない何人かの魔女達が外の世界に出て行き、住み着いた。まじない医(ヨアの森のビトリアナ)や予言者(コーブン近くのロシーナ)、あるいは料理人(バルサスの要塞のシーナ姉妹)として彼女らはひっそりと暮らしている。が、邪悪な目的で外の世界に出て行く魔女がいないわけではない。そういった魔女がドリーの悪名の源であり、そしてザラダン・マーの出現とともにドリーはトロール牙峠の人々の憎悪の的となった。
ザラダン・マーをこっそりと育てたのはロミーナの妹達である。誰が彼の父親であるかは知られていないが、魔女達が黒ミサで呼び出した多くの地獄魔人のうちの一人であろうとまことしやかに伝えられている。あるいは、ザラダン・マーもマランハの怪物の一つであるという説もある。
ドリーは女だけの村なので、三姉妹はザラダンを外の世界に連れ出し、月岩山地で彼を育てた。物心ついたザラダンは平地へ送られ、そこで教育を受けた。彼は既に簡単な魔法を習得しており、魔女達は高名な魔術師のもとで彼の才能が花開くことを期待していたのだ。師はヴォルゲラ・ダークストーム、若きザラダンの他に二人の生徒を持っていた。バルサス・ダイヤとザゴールである。
三人の生徒達は勉学に励み、ダークストームもこれまでの弟子は見たこともない速さで黒魔術をマスターしていった。三人は友人であり、互いがライバルであった。他の二人の能力を認めつつ、三人とも自分こそが最強の魔術師であると認めてもらいたがっていた。
ダークストームの下で学んでいる途中で、ザラダンは改名した。ザラダン・ドリーという名は自分にふさわしいものではないと考えたからである。ドリーは魔女の村の名であり、薬草を使ったまじないや呪いといった素朴な魔法をイメージさせた。ザラダンは魔女達の魔術を軽蔑していた。熱中できるものは唯一つ、マランハの術だけだ。
ザラダンは古の黒魔術にある改名の魔術を用いた。ある夏の夜、ザラダンは丸一晩をかけて独り籠り、儀式を行った。それが完了したとき、ザラダン・ドリーという名はあらゆる人の記憶から消え、それ以後彼は若きザラダン・マーとして知られるようになった。
マー達三人は驚くべき速さで黒魔術をマスターし、老ダークストームはやがて彼らの力に恐れを抱くようになった。師の力の衰えを感じ取り、三人はまもなく己の力に十分な自信を持ち、新たに得た力で導師に謀叛を起こした。もはや、彼らこそがデミ・ゴッドであり、周囲の世界など取るに足らぬものと感じていたのだ。老ダークストームは三人の邪悪な意志に気づき、彼らを滅ぼそうとした。しかし、すべては遅すぎた。激しい魔法の闘いが行われたもののあっけなく片がつき、“悪魔の三人”(彼らは自分達をそう呼んでいた)の密かに呼び寄せた「刃の雨」の魔法がダークストームを切り刻むこととなった。
ダークストームの研究室を掠奪し、若き魔術師達は東へ、トロール牙峠へと向かった。ダークウッドの森でしばらくの間過ごし、それから三人はそれぞれの道を目指して別れていった。
ザラダン・マーは鉱夫という触れ込みでコーブンの町――ドリーの村から南に半日――に向かった。地下に己の居城を築くためだった。ところが、何たる偶然か、ザラダンは金の鉱脈を掘り当ててしまったのだ。イエローストーン金山のお蔭で彼は裕福になり、強大な権力を握った。しかし、彼の真の目的は金ではなかった。己の帝国を築き、やがては全アランシアを征服する、それが彼の望みだった。
帝国の建設は単独でできることではなかった。ザラダンはヴァラスカ・ルーを雇い入れ、金山の管理を任せた。ルーはなりこそみすぼらしいが、丸々と太った気性の激しい男で、ザラダンのように力を渇望し、鉄のように固い意志を持っていた。ルーはザラダンに忠実に仕え、ザラダンも彼を信用して秘めたる野望を明かした。二人は征服の計画を練っていった。やがてルーはザラダンの軍隊を指揮する男を探しに出かけ、ザラダンは最近耳にした出来事について思索に耽った。
よじれ樫の森に住む中立の魔術師ハニカスは、魔法に必要な品を買い求めてコーブンを訪れ、ザラダン・マーと出会った。ザラダンはハニカスを地下の研究室に招き入れ、彼に地下帝国での然るべき地位を保証しようと申し出た。ハニカスはそれを承諾した。ハニカスはトロール牙峠一帯の伝説に通じており、ザラダンはその知識を我が物にしようとしたのだ。ハニカスが語った数々の物語の中で、“スティトル・ウォードの煙”という伝説がザラダンの注意を惹いた。
クモの森の奥深く、群生する槍穂木に隠された魔法の湿原があった。誰一人として湿原を見た者はいない。従って、虹の池に関する噂話もあてにはならないが、そこにいくつもの美しい池があるという。まるで神自らが創ったかのごとく、それぞれの池は極彩色の花々で彩られている。花々は四季を通じて枯れることはない。水中からオレンジ色のユリが顔を出して咲き乱れ、甘い匂いが漂っている。池の周囲は色とりどりのホウオウボクで縁どられ、その周りに咲くアサガラの鈴のような銀色の花が風に吹かれて揺れている。その眺めは絶景という他なく、“虹の池”という名前がついている。
しかし、虹の池の名前はアランシアにもないといわれる、その咲き乱れる花ゆえではない。池の水そのものが虹のようにいくつもの色を持っているのだ。それぞれの池の底の岩に異なる種類の金属が含まれているからだと唱える者もいるが、恐らくそれは誤りだろう。そうであるには、あまりにも色の違いがはっきりし過ぎている。従って、虹の池は魔法で造られたと考えるべきだろう。エルヴィンならそのように美しい池を喜んで造るだろうが、辺りでエルヴィンが見かけられたことはなかった。であるから、虹の池を造ったのはエルフであると考えられている。
虹の池が持つ魔法の力について、いくつもの言い伝えがある。青緑の池で顔を洗えば美しくなれる。琥珀の池で水浴すれば、一つの技能(それが精神的なものであれ、肉体的なものであれ)に習熟することができる。真紅の池につかれば魅力が増し、あらゆる人からたちまち友情と尊敬を得ることができる。こういった噂話の大半、あるいはすべてが真実からは程遠いものであろう。何と言っても、虹の池を見た者は一人もいないのだ。そのことからも、池が魔法の産物であるとうかがうことができる。池は邪悪なる森の中のオアシス、そして桃源郷であり、そこを訪れた者はあまりの美しさに永遠に立ち去ることができないとも言われている。
近頃も虹の池に関する噂のいくつかが、冒険者達の間で話題となっていた。スティトル・ウォードの白髪の森エルフが、虹の池を含む一帯を治めているというのだ。スティトル・ウォードのエルフ村(エルフ語で“エレン・ダーディナス”)は強い魔法で守られており、エルフの望まない部外者は決して中に入ることができない。そして中に入ることが許されるのは、村の位置を外部に漏らさない者だけに限られていた。
一つだけ確かなのは、エレン・ダーディナスがクモの森の奥深くに実在し、恐らくその近くには虹の池があるということだ。冒険心に富む若いエルフの中には、好奇心のあまり樹上の王国から外の世界に出かけ、地上をさまよい、他の種族と交際し、(ごく稀にではあるが)人間の町にやってくる者すらある。
そのようなエルフの一人がリーハ・フォールスホープだ。リーハはチャリスの町の近くを通りがかり、町をのぞいてみたいという誘惑に勝てなかった。謎めいた白髪の種族に関する噂がぱっと広まった。チャリスの娘達はこの優美な生き物に魅了されて付きまとい、くすくす笑ったり、話しかけたりした。リーハは夜な夜な町の居酒屋を訪れ、飲み比べでは誰も引けを取らなかったので、粗野な男達も快く彼を受け入れた。町の露点で立派なマンドリンを手に入れたリーハはあっという間にそれを弾きこなし、道行く人は誰も皆彼の歌声に聞きほれた。
チャリスの人間でリーハを知らぬ者はもはやいなかった。人々はリーハの故郷に関する話を聞きたがったが、最初のうちリーハは黙して語らなかった。当然のように根も葉もない噂が流れ、中にはリーハを貶(おとし)める噂もあった。リーハは自分の名誉を守るため、少しずつ――ほんの少しずつエルフの村に関する話をするはめになってしまった。人々はそれこそ熱狂してリーハの物語に聞き入った。そうした“逸話”はたちまち野火のように町に広がったので、彼も少しずつ大胆になった。リーハは自分の物語の多くを歌のかたちで語り、それらの歌は今なお西アランシアの各地で吟遊詩人によって歌い継がれている。
そんなある夜、リーハは少しばかり酒を飲み過ぎ、少しばかり煙草をふかし過ぎたため、余分に口を滑らせてしまった。酔って酒場娘などに、エレン・ダーディナスがクモの森の奥に実在するなどと言うつもりはなかったし、ましてエルフしか知らない“煙”の秘密を漏らすつもりは全くなかった。話し終わった瞬間、リーハは自分の犯した過ちに気づき、何とかしてごまかそうとした。しかし既に手遅れだった。酒場の主人や立ち聞きしていた客達が矢継ぎ早に質問を浴びせかけた。中でも、村の名前を尋ねる質問が多かった。エルフ語の発音は人間には難し過ぎたのだ。リーハは咄嗟に浮かんできたごまかしの単語を口にしていた。スティトル・ウォードと。スティトル・ウォードとは、エルフが衣類の染色に使う青い染料の名前だった。
酔いが醒めたリーハは自分のしでかしたことに愕然となった。何世代にも渡って守られていた森エルフの秘密を、人間達に、それも酒場の客などに明かしてしまったのだ。リーハはすぐにチャリスを離れ、故郷に戻って行った。村の秘密を人間達に漏らしてしまったことを報告するために。リーハは仲間の冷たい視線を浴びながら、一生を村で終えた。その間、リーハとその家族はエレン・ダーディナスの賤民として扱われた。今なお、エルリア・フォールスホープ――リーハの曾孫――は仲間の非難のまなざしから逃れることができない。決して忘れてもらえない程に、“煙”の秘密は重要なものだったのである。
森の木々の上に建てられたエルフの村は外敵から完全に守られていた。エルフの魔法の力と優れた視力――遥か彼方の侵入者を容易に発見することができる――が村の守りに役立っていたし、しかも神々自身が村を贔屓にしていたのだ。エルフは自分達を選ばれた民だと信じており、それは事実その通りだった。
神々は自分達が創り出した白髪のエルフの、あまりの美しさ、優雅さに驚いた。スティトル・ウォードの昔のエルフの僧侶達は神々と“契約”を交わした。神々はスティトル・ウォードのエルフに他の生き物にはない特別な加護を約束する。その代わり、神々へ嫁ぐ娘をエレン・ダーディナスの来たるべき女王として代々選ぶ。この未来の女王は、素晴らしく、美しく、機知に富み、非の打ち所のない優美さを持っていなければならない。十八歳の誕生日に娘は神々と霊的な交わりを持つ。この交わりこそ代々のエルフにとって最高の名誉であり、交わりが長く続けば続くほど、神々の祝福は大きいものとなる。交わりの際、大いなる力と知恵、指導力が娘に与えられる。エレン・ダーディナスの新しい女王の誕生日だ。
交わりから四つの季節が過ぎる間に、女王は“出産”する。“出産”は宗教的な出来事であり、それに立ち会うのは侍従の僧侶だけだ。“出産”がどのような出来事であるかを知るのは、女王と僧侶、そして信頼できる村人数名だけである。“出産”の呪文は、女王と僧侶だけが知っている。
女王が“出産”するのは普通の子供ではない。それは神が女王に授ける“煙”――特殊な力を持つ精霊――なのだ。精霊の力は、女王がどの神と交わりを持ったかによって異なっている。それは女王が賢い使い方をする。どんな“煙”か知っているのは、女王と僧侶だけだ。誕生した“煙”はガラスのフラスコにしまわれ、僧侶が保管する。女王は一生の間に一度だけ、“煙”を呼び出してその力を行使することができる。但し、呼び出すことができるのは、毎年一回の神分の日――“煙”を授けた神の星座が、特別な位置に来た日――の夜に限られている。
ザラダン・マーは、以上のような話をハニカスから聞き、より詳しい情報を集めた。その結果、現在のエルフの女王エシレスは、なんと三つの“煙”を持っていることが判明した。
エシレスはエルフの中でも、飛びぬけて美しい女性だった。そのため、彼女は三人ものエルフの神と霊的交わりを持つことができた。言葉の神ユーシリアル、理性の神イシシア、エルフの魔術の神アライアリアンの三神だ。三番目の神の名がザラダンの関心を惹いた。エルフの魔術は、彼の黒魔術に勝るとも劣らぬ力を持っているからだ。もしエルフの魔術を使いこなすことができるようになれば、そのときこそザラダンは無敵になることができるに違いない。ザラダンの鋭い知性はこれに気づき、彼は魔術師ハニカスの話に考えを巡らせた。
しかしエルフの村は巧妙に隠され、守られていた。ザラダンは数年もの時間をかけて、スティトル・ウォードの場所を発見する手段を練った。その間に金山は大きくなり、ザラダンの権力もますます確固たるものになっていた。ヴァラスカ・ルーは新しい仲間としてハーフ・トロールのサグラフを連れて戻ってきた。ゼンギスのちっぽけな宿屋で、酔った挙句に殴り合ったのがルーとサグラフが知り合うきっかけだった。ザラダンもサグラフの荒削りなユーモアと残酷さが気に入り、彼をよじれ樫の森に派遣した。サグラフは森にあるハニカスの家を改造し、軍隊の“訓練所”を建設した。
全ての伝説を聞き終わった今、ハニカスには何の価値もなかった。それどころか、彼は己の無能さをさらけ出していた。任されていた研究室の管理をおざなりにし、ならず者の“用心棒”グループが研究室に忍び込んで掠奪を行ったことにすら気づかなかったのだ。
ハニカスの代わりが見つかったのは二年後だった。ポート・ブラックサンドから戻って来たルーは、にやりと笑いながらザラダンにダラマスのことを告げた。ハーフ・エルフのゾンビーであるダラマスは慈悲や良心といったものを全く持ち合わせておらず、人を拷問したり殺したりすることを喜びとしていた。軍隊の士官として、彼は必ず死刑を自らの手で行った。それも、ただ単に楽しむために長時間の拷問を加えた後で。ザラダンは熱心にこの話を聞き、その後、背の高いハーフ・エルフが彼のもとに現れたときには、聞いていた以上に相手を気に入った。
ダラマスはイエローストーン金山の管理を任せられた。最初に彼が行ったのは、賃金システムの変更だった。ダラマス着任以来、イエローストーン金山の労働者には給料として鞭と鎖が支払われた。鉱夫の数が足りなくなれば、サグラフの軍が近隣の村に奴隷を狩りに行った。ザラダンはダラマスの能力に満足し、間もなく研究室を含む全ての地下の活動がダラマスの管理下に入った。ハニカスには、もはや抵抗する術はなかった。
サグラフの軍は日増しに強大になり、訓練所も大きくなっていった。訓練所の周囲には獣が近づかなくなり、それが冒険心に満ちた若い森エルフの注意を惹いた。エルリア・フォールスホープの従兄弟、ダーガ・ウィーズルタングが曾祖父と同じようにエルフの裏切り者となることは、あるいは避けようのない運命だったのかもしれない。ぶらぶらと散歩を楽しんでいたサグラフの兵士が、蛇頭のオフィディオタウルスを調教していたダーガに出会い、仲良く話し合う間柄になったのだ。サグラフは兵士からそれを聞き出し、直ちにザラダンに報告した。ザラダンはすぐに“訓練所”に向かい、友好的なサイ男を装ってダーガに近づき、彼の好意を得ることに成功した。
白髪の森エルフは自分でも意識しないうちに、ザラダンの“魔法生物支配”の呪文をかけられていた。ダーガは“煙”を盗んでくるよう命じられ、それを成し遂げてしまった。“煙”は研究室の地下深く隠された。しかしながら、いくら“煙”を調べてみても、スティトル・ウォードの外に住む者には、その使い方は皆目分からなかった。ここで、ザラダン・マーもエルフの村を絶対に見つけてやると誓いを新たにした。
如何に大量の兵士を動員しようとも、クモの森を地上から探索するだけでは森エルフの村を見つけることはできないだろう。エルフの魔術がある限り、村を見ることすら叶わぬはずだ。ザラダンにもそのことは分かっていた。
しかし、別の可能性がそのうち出現した。純白の帆をなびかせ、一隻の巨大な船がやってきたのだ。その船体は信じられないほどに厚く、小さな穴一つ開けることもできないだろう。巨大なその船には、優に一千の兵士が乗り組むことができる。船がどこから現れたのかは、誰も知らない。しかし、その船が神の手になるものであることは明らかだった。人々がガレーキープと呼ぶその船は、海ではなく空を飛んでいたのだ!
ザラダンはガレーキープの奪取を決意した。あの船を手に入れることができれば、いかにも世界の支配者としての姿にふさわしく、ザラダン・マーの名は否が応にも世界に鳴り響くことだろう。しかも、空からの探索ならばスティトル・ウォードを発見することもできるかもしれない。地上からは隠されていても、空からとなると……ザラダンはヴァラスカ・ルー、そしてサグラフらとともに襲撃計画を検討した。
ザラダンのトーキ軍が船に不意打ちを仕掛け、激しい戦いが始まった。“訓練所”でたっぷり訓練を積んだ兵士達は船の乗組員を圧倒し、船はザラダンのものとなった。ザラダンはすぐに船に司令所を置き、船上で生活し始めた。
そして今、ザラダンはクモの森を空から探索している。事情を知っている者たちは、彼が成功するのではないかと恐れ慄いている。もしスティトル・ウォードが発見され、“煙”の謎が解明されれば、ザラダンは無敵になるだろう。何とかしてザラダンの計画を阻止しなければならない。チャリス、シルバートン、ストーンブリッジの勇敢な冒険者がかき集められ、“煙”の探索に出発した。しかし、彼らの誰一人として“煙”を見た者はなく、彼らは何を探せばいいのかすらわかっていないのだ。マイアウォーターでは、カラ・ベイが鳥男の軍隊を組織しようとしている。が、鳥男のガレーキープに対する恐怖は強く、たとえ組織することができてもガレーキープを奪回することは困難だろう。サラモニスでは、町のエルフを北に向かわせ、何とかして森エルフに警告を伝えようとしている。森エルフは同じエルフの仲間すら信用しようとはしないから、この計画も望み薄ではあるが。
もはや、ザラダン・マーの前に立ちふさがる者はいなかった。ザラダンがアランシアを征服するのは時間の問題だろう。
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