ロボットコマンドウ


 主人公の国タロスと、タロスの敵国である野蛮な国カロシアンでは、色々な目的のために巨大なロボットを製造している。これらのロボットは何百人分もの作業を一台で行うことが出来、農業や工業、建築など様々な用途に使われていた。あるいは、カロシアンのように他国を侵略するためにも…。
 これまでは、野蛮なカロシアンも防御の固いタロスの国だけは侵略を避けてきた。タロスを攻撃するのはそう簡単なことではなく、たとえ侵略に成功したとしても大多数のカロシアン人が犠牲になることは間違いないからである。
 しかし、野蛮国カロシアンの暴君ミノスは、狡猾な計画を思いついた。スパイをタロスに送り込んで、強力な睡眠薬を撒き散らし、タロス中の人々を眠らせるのだ。この計画は成功した。タロス中の人々が眠り薬にやられ、ほどなくたった1人――主人公を除いて全員眠ってしまったのだ。
 主人公は、なぜ自分だけが眠らずにすんだのか皆目見当がつかなかった。しかし、その詮索をしている場合ではない。自分が何とかしなくては、タロスがカロシアンの手に堕ちるのは時間の問題だ。タロスの国民全員の運命は主人公の双肩にかかっている。
 タロス製、あるいはカロシアン製の操縦ロボットを操りながら、主人公はたった一人で野蛮なカロシアン人どもに立ち向かう…。

 FFシリーズ22巻『ロボットコマンドウ』は、ファンタジーというよりはむしろ科学的な要素の多い冒険です。
 魔法に代わって、近代的な巨大ロボットが登場します。ですから、これらのロボットの長所や特性を十分に活用することが重要になって来ます。
 この冒険は、8巻『サソリ沼の迷路』と同じく「双方向型」ゲームブックです。日本語訳されているFFシリーズ(『ソーサリー』及び『凶兆の九星座』を含む)の中で、この「双方向型」ゲームブックなのは8巻と、この『ロボットコマンドウ』の二作品だけではないのでしょうか。やはり、FFシリーズは「小説は読み進められていくもの」という観念が強いようです。逆に、国産ゲームブックは「双方向型」が多いようです。もちろん、国産にも「一方通行型」ゲームブックはあります。茂木裕子氏や宮原弥寿子氏の作品は、主に「一方通行型」ですね。
 8巻『サソリ沼の迷路』や19巻『深海の悪魔』と同じく、この22巻『ロボットコマンドウ』もマルチ・エンディングです。しかし、今回は冒険の目的がはっきりしていますので、どのエンディングも「タロスの国が復興してカロシアン人を撃退できた」という点で共通しています。ですから、今回は「クリア方法は1つではない」と捉えてもよいでしょう。もちろん、どの方法も一筋縄ではうまくいかないようになっていますが。
 この『ロボットコマンドウ』に関しては、作り自体はそれほど無理がないと思います。しかし、「双方向型」システムの宿命か、どうしても二度目以降に訪れたときの処理が問題になってきます。8巻『サソリ沼の迷路』でもそうだったのですが、「宝を手に入れる機会は最初に訪れたときのみの一度きり」という枠組みからどうしても抜け出せていないように思います。8巻は初の双方向型でしたのでそれでも良いのですが、二度目の本作品は、もう少し工夫をして欲しかったと思います。この双方向型システムが一番良く出来ているのは、何と言っても林友彦氏の「キーNo.」管理ですね。
 そして、この『ロボットコマンドウ』にも、やはり翻訳の問題が見受けられました。
 まず前作21巻『迷宮探険競技』と同じく表現の統一性についてです。345番に出てくるカロシアン製ロボット「ミュルミドン」で、「人間型」は「ヒューマノイド型」とも表現され、また「戦闘機型」は「飛行機型」とも表現されています。こういう統一性のなさは混乱の元になります。やはり、どちらかに統一して欲しかったところです。たとえ原文がそうなっていたとしてもです。そもそも翻訳というのは、意味を正確に(誤解のないように)伝えることが目的なのですから、杓子定規に逐語訳をして、かえって誤解を招いてしまうのでは主客転倒です。
 また、カロシアンの本陣に赴いてミノスに1対1の決闘を申し込むときの言葉に「ぼく」だの「あなた」だのは理解に苦しみます。「ぼく」と訳してしまっては、女性読者を考えていないことになりますし、侵略してきた輩に「あなた」などと言っては相手に甘く見られても仕方がありません。まだ15〜16歳の少年ならいざ知らず、主人公は「部下がいる牧場勤務」という設定である以上、15〜16歳という考えは不自然です。また、330番での「やさしかったり、弱かったりするはずがない」という訳も、あまりいい訳とは言えません。「甘い敵ではない」で十分意味が伝わります。その後に「これを受けてみろ、カロシアンめ!」と叫んで乱暴な言葉を吐いても、先に「ぼく」だの「あなた」だのと言ってしまっているため、全く意味がありません。私が『ロボットコマンドウ』があまり好きではない理由としては、こういった翻訳の問題が挙げられます。
 この冒険の“HAPPY END”は3つありますが、そのいずれも最後を「君は英雄(勝利者)となった」と強引に締めくくっている点が気になります。8巻『サソリ沼の迷路』や19巻『深海の悪魔』に比べると、エンディングの描写が少しお粗末なきらいがあります。
 おそらく著者の意図としては、「主人公がミノスを殺した日がタロスの新祝日となる」355番が一番の“HAPPY END”ということでしょうが、この冒険に関してはどのエンディングも立派なクリアだと私は思います。

 さて、ここで問題です。
 「あなたが手に取っているこの本は、どちらのスティーブの作でしょうか?」(巻末の<解説>より)
 もうお分かりですね。答えは『深海の悪魔』を参照してください(笑)

2005/06/23


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