海賊船バンシー号


 港町タクは、かの悪名高いポートブラックサンドに負けず劣らずの無法地帯だった。ここでは、ありとあらゆる犯罪が罰せられるどころか、むしろ賞賛されるほどの無法ぶりだった。物を盗まれたら盗まれた方が悪い、騙されたら騙された方が悪い、そして殺されたらもちろん殺された方が悪い!
 そのような無法地帯の中でも特に恐れられていた人物が2人いた。1人は海賊船ヘイベルダール号の船長である殺し屋アブドル、そしてもう1人は海賊船バンシー号の船長である主人公である。2人とも凶悪な部下を引き連れ、次々と信じられないような財宝を持ち帰ってきては、お互いにライバル心を燃やしていた。尤も、ギャンブル好きの2人は掠奪してきた財宝の大半をその都度賭博で失ってはいたが…。
 ある日、仲間の1人がふと言い出した。「2人とも、そんなに『自分が海賊の王』だと思っているんだったら、いっそのこと本当に腕比べをして決めればいいじゃないか」と。そいつは名案だ!主人公も殺し屋アブドルもすぐにその考えが気に入り、早速実行に移すことにした。
 タクから南の沖のニプール島を目指し、途中で出来るだけ多くの財宝を掠奪する。期限は50日。ニプール島に無事着いたときに、掠奪した財宝の多い方を『海賊の王』とする。
 こうして、主人公と殺し屋アブダルの腕比べは幕を開けた…。

 FFシリーズ16巻『海賊船バンシー号』の著者は、なんとあのアンドルー・チャップマンです。
 12巻『宇宙の暗殺者』そして15巻『宇宙の連邦捜査官』と、二作続けてSF作品を書いていたチャップマン氏ですが、今度は海洋冒険の作品です。
 私は、このコラムを書くまでそのこと(16巻の著者がチャップマンであること)に全然気づきませんでした(笑)!これは、同じ著者の作品とは思えないほどチャップマンの表現方法やルール設定などが斬新なおかつ豊富に取り込まれているということでしょうね。確かに『海賊船バンシー号』の著者もチャップマンと言われてみると、いくつか共通点が見つかります。例えば、15巻『宇宙の連邦捜査官』に出てきた「さんざん殴られて原体力点2を失う」という発想は、16巻『海賊船バンシー号』にも出てきます。
 戦闘方法は、チャップマンの作品の傾向通り、「一騎打ちの戦闘」と「大規模な戦闘」という2通りの戦闘方法があります(そういえば、チャップマンの作品には「一対一で戦う方法が分かっている場合はこの項を読み飛ばしても構いません」という注意書きがあることに「今」気づきました)。
 戦闘方法にはいつも新しい工夫を凝らしているチャップマンですが、今回はニプール島での一つ目巨人との戦いでも一工夫しています。予め巨人を倒したときに進む番号311を記録しておき、巨人を倒したらその番号に進むという手法です。これだと、巨人の体力点を減らすたびに「これで巨人の体力点が0以下になったら311へ。」といちいち書く必要がなくなります。無駄に文章が長くなるのを避けているわけです。逆に「手抜きだ」と言われなくもない気がするのですが、これは好き好きのレベルでしょう。
 冒険の目的も「金貨を1枚でも多く集め、なおかつ50日以内にニプール島に着く」と単純明快です。複雑な謎解きなども出てきません(経路によっては「謎解き」が出てきますが、その解決策も戦闘で代用できるようになっています)。各都市や島嶼での出来事なども盛り沢山組み込まれており、しかも海洋冒険だけあって船の針路に十分な自由性を持たせています。クリアするルートは決して1つではなく、10人の読者がいれば10通りの針路があります。これもこの作品の優れた点として見逃せません。
 そして、今回の冒険の特筆すべき点は、何と言っても主人公が<悪>の側であるということです。
 これまでのFFシリーズは、専ら主人公は<善>(もしくは<中立>)の側でした(8巻『サソリ沼の迷路』に出てくるグリムズレイドは<悪>ですが、仕えている主人公は<悪>ではありません)。今回の冒険の主人公は海賊です。では義賊かと言うと義賊でもありません。冒頭でも「悪名高い」と明記されています。この冒険の目的も完全な私利私欲です。つまり、主人公は正真正銘の<悪>なのです。
 その証拠に、金貨数千枚の借金があるエル-ファズークにカラーの港で出遭ったときに、極悪非道な選択をすることが出来ます。バンシー号を賭けてサイコロ賭博を強いられますが、ここでサイコロを2個振った合計が運良く(結果からすると運悪く?)7になり、過去の借金を清算してももちろん構いません。しかし、7が出なかった場合に「バンシー号を渡せ」とエル-ファズークに迫られたときに「さあどうする?」というところです。ここで素直にバンシー号を渡してしまっては、読者は完全な<悪>にはなりきれていないことになります(明け渡したら言うまでもなくデッドエンドです)。ここは「悪名高いバンシー号の船長」らしく約束を反故にするという選択が「主人公にとって良い選択」なのです!
 普通の冒険で約束を反故にするといった不義な振る舞いをしたら、「たとえどんな約束とて、それを守らぬとは主人公にあるまじき行為だ」などと言われ、天罰ならぬ「著者罰」が下り、運点などを失います。しかし、この本ではそれが逆に賞賛される行為なのです。
 では、<悪>だからといって、「自分以外のバンシー号の船員は全員自分のために働く道具だ」「自分以外は下っ端だ」という態度で部下に対して横暴な振る舞いをしていいのかというと決してそうではありません。確かにバンシー号の船長は<悪>ですが、自分について来ている部下に対して忠実でなくてはとても船長など務まりません。事実、部下達の不満を聞き入れず自分勝手な振る舞いばかりしていると、それ相応の終わり方をします。会社の上司や公務員の部課長など、上の地位に就いている人で155番・182番・379番に着いた人は多いのではないでしょうか。この冒険をしていて155番・182番・379番に着いた人は、普段の自分の部下に対する態度を反省する必要があるでしょう
 部下達がいなければ商船や村などを集団で襲撃することはできませんし、信頼がなければ部下達は自分の指示に従ってはくれません。この作品は、目的に向かいながら「人の上に立つ者は部下に対してどうあるべきか」ということも同時に考えさせてくれます。ただ部下達に指示や命令を出して絶対服従させるだけが上司の役目だと思ったらそれは大きな間違いです。船員あっての船長なのですから。
 また、このゲームは工夫次第で殺し屋アブドルとだけではなく友達同士でも競争できるのです。
 目的が非常に単純かつ明確ですからFFシリーズの入門用に最適ですし、「人の上に立つ者のあり方」についても十分考えさせてくれますし、そして工夫すれば殺し屋アブダルとだけでなく友達とも競えます。この本は、FFシリーズの中でもかなり秀逸な部類に入る作品と言えるでしょう。加えて近藤功司氏の「付録」も、非常にレベルの高い話になっています。これについてはもう少し深く掘り下げて述べることにしましょう。

 それにしても、殺し屋アブドルとの腕比べの際に手に入れた財宝を主人公はどうするのでしょうか。またいつものように賭博につぎ込んでしまうのでしょうか。私だったら、そろそろ引退を考えるかもしれません。これから挑んで来る者と、また殺し屋アブドルと同じような腕比べを実施して、挑戦者が勝てば彼(または彼女)に『海賊の王』の座を譲り渡して足を洗うとか…。その前に、ガウェル・ネスタファ(233番)など主人公に恨みを持っている人物に暗殺されてしまう可能性も十分あると思いますけれどね(苦笑)。
 ところで、バンシー号の「バンシー」は9巻『雪の魔女の洞窟』にも出てきました。しかし、ヘイベルダール号の「ヘイベルダール」とは一体何のことでしょうか。実は私も知りません(笑)。どなたかご存知の方がいらっしゃれば教えていただけるとありがたく思います。

2005/06/09


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