「正確な虞」を


 新型コロナウイルスが世界中で問題になっている2020年、もしかしたら自分も感染する虞があるのではないかと恐怖を感じる方も多いであろう。私自身が新型コロナウイルスに感染する可能性が「ある」か「ない」かと言えば、無論「ある」。しかし、「高い」か「低い」かと言えば、それは「低い」と言えるだろう。なぜかと言うと、私は武漢への渡航歴がないからである。それどころか、私は中国すら行ったことがない。また、人混みへの不要な外出を控えているし、外出の際はマスクを着用、帰宅時は手洗い・うがい・消毒をし、体温も平熱を保っている。私がこれだけ述べても、「それでも感染してしまう人がいて、更には亡くなられた方もいるのに、なぜ批判屋は自分が感染する可能性が低いと言い切れるんだ」と述べる人もいるかもしれないので、それについては以下のように反論しておく。
 私が新型コロナウイルスに感染する可能性が「低い」と述べるもう一つの理由は、現代の日本の人口に対する感染者の数値が低いからである。現代の日本の人口を1億2600万人とすると、その半分の6300万人が感染していれば、それは感染する可能性が「高い」と言えるであろう。しかしながら、そんな数値にははるかに及んでいないのが現状である。確かに「ゼロ人」ではない。しかし、「ゼロ」か「ゼロでない」かで水準を定めてしまっては、必要以上に私達日本人が怖(おそ)れ慄(おのの)きながら生活しなくてはならないことになる。
 昨年(2019年)1月、私の職場の同僚の方が大動脈解離で亡くなった。それ以来、私は背中や胸が痛む度に大動脈解離を疑うようになった。しかし、先月、心臓の検査をしてもらったところ、心臓は特に異常なし、それよりも現在罹患している逆流性食道炎の心配をした方がよいとの診断が出た。今後、私が大動脈解離を発症する可能性は「ゼロ」とは言えない。しかし、発症する可能性が低い大動脈解離に怯えるくらいならば、暴飲暴食や夜食によって逆流性食道炎が悪化することに怯えた方がはるかに健康に良いことは疑いようもない。
 ある物理学者の言葉に「正当にこわがる」というものがある。物事を過小評価も過大評価もせず、適正な評価をすることは非常に難しい。ある物事の良さと悪さを「正確に」分析することは重要なことであることは分かっているのだが、なかなかこれを実行することは難しい。「正確な虞」を抱くように心がけたい今日この頃である。


(2020/04/02追記)
 先日、私が新型コロナウイルスに感染する可能性は「低い」と述べたが、現況が変わってきているので補足しておく。
 まず「2020年4月2日現在の私」は新型コロナウイルスの症状が「出ていない」。しかし、感染している「可能性はある」。
 そして、感染の有無に関わらず、私は先日の予防を心がけている。それでも私が将来「陽性」となったら、それは仕方がないと思う。これだけ予防をしたにも関わらず、陽性となったとあらば、それはもはや運命と言わざるを得ないであろう。
 無論、私は不用意にどこかへ出かけることはしていない。私が外に出る理由は、仕事・買い物・通院など「必要な外出」である。事実、先月中旬に、私の職場は1週間休業となった。休業期間中は買い物と通院を除いてほとんど家にいた。家にいるときも、部屋の換気や空気清浄機の稼働など、できる限りのことはした。
 新型コロナウイルスに関する現在の私の問題点と言えば、感染の疑いが「低い」*ため、未だ検査をしていない、否、させてもらえないことにある。検査をしたいのはやまやまだが、いかんせん優先度が低く、検査の順番が回ってこないのである(私に限らず、日本国民の半分以上が検査の順番が回ってきていないだろうが)。
 このような状況になると、一人一人の人間性が顕著に出てくる。テレビやYoutubeなどによく出てくる「著名人」と呼ばれる人達への評価も明暗が分かれている。ある「著名人」は酷評を受け、ある「著名人」は称賛される。このような緊急事態だからこそ「正確な」「正当な」評価になりやすいのもしれない。
 FF13巻『フリーウェーの戦士』のような世界にならないことを願いたい。それには、普段からの小さな心がけであることは間違いないだろう。

*批判屋の感染の疑いが「低い」根拠 … 37.5℃以上の熱が出ていない、15年以上海外に行っていない、あとは上記の心がけによる

2020/03/14


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