真の友人かどうかがわかるとき


 他人の出来事が自分にとって肯定的な感情になるときというのは、大きく分けて二つある。一つはその人に良いことが起きて、それが自分の喜びにもなる場合である。もう一つはその人に悪いことが起きて、相対的に自分がその人より優位に立ったと感じる場合である。これらのうち、他人の良いことを自分の良いことと思える方が真の友人というのは大抵の人が理解し得ることだろうが、実はもう一つ大切な要素がある。それは、その「良いこと」が自分にとって未経験の出来事であるかどうかである。
 例えば、自分の友人が結婚したとき、友人を祝福できないようでは当然ながら真の友人とは言えないだろう。ならば、祝福できれば「真の友人」と言えるかというとこれだけでは一概には言えない。そのときの自分の状況も実は大きく関係する。自分が既に結婚していて友人の結婚を祝福する理由というのは、自分が結婚の良さを既に知っているからである。つまり自分の経験から友人を祝福しているに過ぎない。これに対し、自分がまだ結婚していない状況で友人の結婚を祝福できたのならば、これは間違いなく真の友人と言ってよいだろう。なぜなら、自分に起きていない良い出来事が他人に起きたとき、つまり他人が自分よりも先に成果をあげたとき、それを心の底から喜ぶのはそう簡単にはできないことだからである。ほとんどの場合、表面的には祝福の文言を述べていても内心は嫉みや羨みでいっぱいである。全部が全部とは言わないが、他人の成功を祝福する場合はこの点について深く考えないと、安易に祝福している「つもり」になっている可能性は否めない。
 どこへ行くにも大抵一緒の人達は、傍(はた)から見ると「仲間」に見える。しかし、その人達が真の友人かどうかは当人達でさえも分からないことがある。自分の身に起きていない良い出来事が「仲間」の身に起きたとき、心の底から喜べれば真の友人と言えるだろう。

2018/02/04


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