あなたは目下に見張られている


 2006年度も早3週間を経過し、新入生や新入社員達が目上の立場の者から色々な「指導」や「評価」を受けることも多くなってくる時分であろう。
 毎年この頃になると、決まって私が思うことがある。それは「常にの立場の人に見張られている」ということだ。
 大抵の人は「目上から見張られる」と思うことだろう。確かに、新入生や新入社員などのいわば「新入り」と呼ばれる立場の者は常時目上の者から見張られていて、組織に合わないと思われたらその組織から追放されるだろう。だから「常に目の立場の人に見張られている」のである。
 普通は、学校であれ会社であれ、目上だけが目下を「評価」し、目下が目上を評価する機会などほとんどないであろう。しかし、それは飽くまでもその組織内における能力面だけの評価に過ぎない。ここに落とし穴がある。
 例えば「目上」であるあなたが「目下」である子供たちの前で、病院で携帯電話を使ったとする。「子供だからわからない」と思うかもしれない。「子供だからわからない」と思っているのはあなただけである。子供は、たとえ今は何も知らなかったとしても、成長していつか「病院で携帯電話を使うのは厳禁」ということを、理由とともに知ることになるだろう。そして、そのときに過去のあなたの行いを思い出すのである。
 あるいは、不正を正そうとして内部告発した「目下」の人を暴力などで制圧する「目上」がいるような組織では、上層部が何をしようとも目下の人たちは文句を言わないであろう。しかし、言わなくても見てはいるのである。因果は覿(てき)面ではなく、長い年月を経て「目下」たちが白日の下に曝した不正は、その期間が長ければ長いほど上層部を苦しめ、その果てに破滅の運命をたどるのである。
 つまり、今は「目下」からの査定がされなくても、未来で査定されてしまうのだ。そして、その遅効性の猛毒は、回りに回って必ず自分に跳ね返ってきてしまうのである。しかも、跳ね返ってきた時はもはや手遅れで、数値で測る能力面での評価よりも桁違いに厳しく、また情状酌量など一切通用しない。「評価できるのは上層部だけの権限」と思っていたら、それは大きな間違いである。
 前回の『「他人にうるさく自分に甘い」者どもへ』でも述べたが、他人にレベル1の厳しさを要求したら、自分はレベル10の厳しさで遵守する必要があろう。しかも、立場が上の者は、彼是(あれこれ)言われない(目下の人は言うに言えない)ので、どうしても自分に甘くなりがちである。
 私が最高レベルの名誉職と思っている中に「諫(かん)言役」という役職がある。組織の最上部の者があまりにも「誤った道」に迷い込んだときに、それを注意するのである。なるほど、私が目指しているもののひとつは、この「諫言役」なのかもしれない。

2006/04/21


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