様々な選択を迫られたときの、私の心得です。
他人の言葉はあくまでも助言や提案に過ぎず、最終的に決定するのは自分自身です。同じ選択でも、そのときの状況次第で結果が吉と出るか凶と出るかが変わってきます。順調なときはうまくいかないものもうまくいき、不調なときはうまくいくものもうまくいかないものです。それを判断するのも実力のうちと言えるでしょう。
判断や決断に迷ったときの切り札とも言える、私にとっての心の支えとなる名言です。
この言葉は、現代科学の最先端を走っている人にこそ心得るべき言葉ではないでしょうか。
未知の実験に失敗はつきものです。時には、理論的に誤りはなかったのにも関わらず大失敗をしてしまうことがあることでしょう。しかし、失敗の中にも新たな発見が生まれることがあることでしょう。逆に、一見誤りに見える操作が実は正しい実験方法や新しい発見につながったりもします。「新しい発見」や「正しい実験方法」というのは、概して数多くの失敗経験から生まれるものです。
成功することばかりが能ではない、まさに私の座右の銘そのものとも言える名言です。
この番号はBAD END(DEAD END)の番号ですが、この言葉は名言とも言える言葉です。
何をするにも、目標や目的というものが必要です。目的もなくただ漠然とダラダラしても成果は上がりません。私も、本来の目的を忘れてただ漠然と同じことの繰り返しをすることがありますが、その都度この言葉を思い出すようにしています。今自分のしていることは、何が目的なのか。目前の目的と最終目的は異なることもありますが、しっかりと目的を見据えて物事を行うように心がけています。
もう1つ、この番号を選んだ理由があります。それは、目的そのものが良いか悪いか、正しいか間違っているかを判断しなくてはならないということです。確かに目的を持つのは大切なことですが、この番号がBAD ENDの番号ということは、少なくとも良い目的・正しい目的ではないということです。
目的次第で、自分の状況は良くも悪くもなります。目的を見誤らないことが肝要です。
この番号は、主人公シリスティアが自分の天命を告げられて困惑しているとき、トーナが独り言のように言った言葉です。
宗教的や哲学的な表現になってしまいますが、人は誰でもこの世界に必要だから存在します。規模の大きさは違えど、人にはこの世界での天命があるわけです。しかし、自分1人の力では到底成し得ない天命もあることでしょう。そういうときこそ、このトーナの言葉で勇気づけられます。自分がいかなる存在であったとしても、自分のできる精一杯のことをするだけです。その積み重ねが将来大きな成果を得られると思います。
私にできることは何なのでしょうか。自分が迷ったとき、トーナのような女性が側にいると「正確な」道へと導いてもらえることでしょう。まさに、かけがえのない存在です。
誰かと一緒に行動する以上、100%自分の思い通りにはいきません。自分がいくら完璧に行動したとしても、相手の都合によってその「完璧」な行動が崩れることがあります。それどころか、相手の行動によって自分の行動が最悪のものになる可能性すらあるのです。
相手の都合を考えず、自分の都合だけ考えていると、一見「最良」「最善」の選択肢が、実は「最悪」の事態を招くことにもなります。囲碁や将棋・チェスなどといった対戦型ゲームについては言うまでもなく、相手のことを全く考えずに、自分のことばかり考えていると、独り善がりの手・独善的な手になることは想像に難くありません。無論、それらは「大悪手」につながります。
自分にとって「最悪」の事態を考えておくのが、正しい読み・深い読みなのです。
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