ゼビウス


 BC12000年の旧大陸時代、現在よりはるかに進んできた生化学によって、全人類の生活支援を目的とした巨大なバイオコンピューター「ガンプ」が創造された。ガンプは、生体合成によって人間の脳を模写し、巨大化によってその能力を増大させた存在だったが、たまたま脳の提供者であったラスコ・クラトーがESP(超能力)を備えたエスパーであったために、その知的エネルギーによって人類を操り始めた。
 ガンプは太陽系から遠く離れた6つの惑星に、自身のレプリカを送り込んでいた。この6つの惑星は14000年後、つまりAC2000年に地球を中心として東西南北上下の6方向が直行する「ヘキサクロス」状態となるよう運命づけられていた。「ヘキサクロス」となったら最後、以前よりはるかに強大なガンプが地球上に再生し、ガンプによる地球支配はもはや避けることは出来ない。その「ヘキサクロス」はあと6ヶ月後に迫っていた…。

 地球を救う方法はただ一つ、「ヘキサクロス」の前にガンプの6つのレプリカのうち1つを破壊することだけである。そのレプリカの1つはゼビウス星にあるのだが、超能力でゼビウス星に送り込めるのはたった一人の人間が精一杯であった。そして、その送り込まれる人間に選ばれたのがP・J(ポール・ジョーンズ)であった。P・Jはゼビウス星に送り込まれる前に、老師シオ・ナイト――生命体というよりは鉱物に近い存在だが、桁外れに優れた知識と経験を持つ、地球の人類にとって不可解な協力者――のもとで、二週間超能力の修行を行なった。そして、P・Jは自分の選んだ超能力とゼビウスの大まかな地図そして1食分の栄養素を含んだ錠剤を携え、ゼビウス星へ送り込まれることとなった…。
 この、ゼビウス星へ旅立ちしP・Jこそが主人公である。

 『ゼビウス』は株式会社ナムコが1983年に製作したシューティングゲームです。元来アーケードゲーム(ゲームセンターにあるゲーム機)としてのゲームでしたが、後にファミコンやMSXなど多数のゲーム機にも移植されました。あの機械的な高い音のBGMが今でも蘇ります。
 ゲームブック版『ゼビウス』も、時代背景や敵キャラ、そして原作にもあった「ゼビ語(ゼビ数字)」などをそのまま使っており、ゼビウスを製作したスタッフでないとここまで細かい作業は出来ないくらいにゼビウスの世界が復元されています。では、ゲームブックもシューティングゲームかというとそうではなく、ゲームブック版『ゼビウス』は他のゲームブック同様ロールプレイングゲームです。
 この『ゼビウス』は、日本のゲームブック初の「双方向型」とも言われています。つまり、同じところを何度も行ったり来たり出来るのです。『ゼビウス』は「元祖双方向型」と言っても過言ではなく、鈴木作品や林作品もこの『ゼビウス』の影響をかなり受けているものと思われます。
 アーケード版ゼビウスのイメージからすると、この敵をひたすら撃つというイメージが強いのですが、ロールプレイングですと、やはり色々な登場人物が出て来ます。カーチャ・ニーナ姉妹やバキュラ博士(これは、回転しながら降って来る破壊不可能な敵キャラの名前です)などが魅力的です。それから、神殿の東西南北に立ちはだかる場所も見所です。軍人に非ずんば人に非ざる待遇を受ける東の都市、半分廃墟と化した西の町、海沿いの南の村、はるか北に聳える山々、そして伝説の剣エクスカリバーの眠る南西の砂漠など、ゼビウスの観光ツアーも乙な(?)ものです。最大の敵ガンプは、ゼビウス星に最初に着いた場所のすぐ近く――そう、神殿の奥深くに…。
 この作品の戦闘システムはごく単純で、一撃で勝負が決まるようになっています。この戦闘システムは後の『ドラゴンバスター』にも登場しており、最後のガンプとの特殊な戦闘方法は『ドラゴンバスター』のドラゴン族との戦闘方法にも用いられ、また、戦闘後に武器(エクルカリバー)の武器ポイントが上昇するシステムは『ドラゴンバスター』でのドラゴン族との戦闘後にも用いられています。
 この作品における主人公の「成長」は、ゼビウス星で主人公が超能力をどんどん身につけていくことだと思います。超能力を身につけ、戦力を高めていき、冒険開始時では到底敵わぬガンプに勝てる力をつけていくという、ロールプレイングゲームの大きな楽しみを味わえると思います。
 全体的に見て『ゼビウス』は、可もなく不可もなく、といった面があると思います。元祖の双方向型の割には無駄なパラグラフ構造もそう多くはありません。ただ、個人的な感想としては理不尽な話――東の都市での平民に対する扱い(28番や高層ビルでの各料金)や南の村にいる金の亡者の門番夫妻(58番)、あるいは西の町で襲い掛かってきた女の腕を少し捩じ上げただけで後で報復される場面(140番)など――が多いと思いますが。

 ところで、AC2000年というのは「西暦2000年」のことです。「ゼビウス」の開発当時が1980年代前半ですから、当時にしてみれば「近未来」だったわけですね。1980年代というのは「ノストラダムスの大予言」で騒がれていた頃ですから、1990年後半〜2000年、つまり20世紀末というのは当時の人からすると「残酷な暗い未来」というイメージが強かったのかも知れません。「北斗の拳」の時代も「世界が核の炎に包まれた199×年」ですから、やはり「残酷な暗い未来」というイメージが強かったと推測されます。

2007/11/09


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