第七の魔法使い


 今から十数年前、都市国家ヴィアドの城では、ちょうど主人公の妹の生誕を祝う会が開かれていた。しかし、そのとき突然魔女ダウマヌスが姿を現すや否や、この国をもらい受けると宣言した。かつて破壊と混沌の魔道師グローヴァを倒した三勇者である父シヴァ、母ポリュシュア、そして宰相ソージュは無論ダウマヌスに立ち向かった。しかし、グローヴァを倒したソージュの攻撃魔法がダウマヌスに対して出ない。そうこうしているうちに、ダウマヌスの攻撃魔法がヴィアド全体を襲った。シヴァはその場にくず折れ、ポリュシュアは石像と化した。ソージュは主人公を抱えて逃げ去る。
 それからというもの、ソージュは主人公の父親代わりとなり、主人公を王位継承者となるよう訓練した。ある日、ソージュは自身の命を“聖樹の杖”に注ぎ込み、主人公にダウマヌスのことやテフォイのことなど必要なことを話して息を引き取った。主人公は、何としてもダウマヌスを倒し、ヴィアドや家族をよみがえらせる決心をする。そう――この主人公こそが、後に「七賢人」と呼ばれる者達の1人、「第七の魔法使い」である…。

 13年前の今日は、この『第七の魔法使い』の発行日でした(尤も私はその日よりも2〜3日前に購入したのですが)。
 この作品は堀蔵人&新井一博両氏の共著で、当時東京創元社が開催していた「第二回ゲームブックコンテスト」の佳作入選作品です。何の手直しも必要なければ「入賞」とのことですが、残念ながらこの作品は多少の手直しは必要だったそうです。それで「佳作」となったわけですが、私はこの作品が非常に気に入っています。この作品の何と言っても素晴らしいところは、主人公とトーナの恋物語がどんどん発展していくところでしょう。
 『第七の魔法使い』は、二部構成になっています。
 第一部は、主人公が“第七の魔法使い”としての最低限の強さを身に付ける段階です。この過程で、主人公はヴィアドの領民たちと知り合います。更に、生涯の伴侶となるトーナとも出会います。トーナは、どことなく悲しい運命を背負った雰囲気のある美少女でした。彼女とともに、ダウマヌスの居城へ乗り込むところまでが第一部です。第一部では、主に「護符」の左右の数がキーポイントです。護符の左右の数によって状況分けが実にうまく整理されています。また、武器戦闘における、敵の<特殊能力>の適用は読者の任意となっていますが、「真のクリア」を目指すならばこの<特殊能力>付きで戦うことをお薦めします。結構厳しいですが、それをクリアしてこそ、真のゲームブックプレイヤーと言えるでしょう。
 そして、いよいよ本番の第二部ですが、ダウマヌスの居城へといよいよ攻め込むわけです。これも、前半と後半に分かれています。どこで分かれるかというと、トーナと口付けを交わす場面(210番)で分かれます。前半部分で最低限度の魔法を覚え、その過程でダウマヌスとトーナとの関係が明らかになってきます。後半部分では主人公とトーナの仲もどんどん深まり、いよいよクライマックスになるわけです。ここで、第一部での行いによってクライマックスが分岐されます。無駄で無益な戦闘をした場合にはそれ相応の罰則が適用されます(つまりは、デッドエンドということです!)。
 この冒険のエンディングは1つですが、第一部で手に入れた薬によって主人公の母親と妹が生き返るかどうか違ってきます。つまり実質上は「マルチ・エンディング」の部類に入るでしょう。無論、生き返った方がよりよいエンディングとなります。また、アシス(生き返りの魔法)をかけるか否かでもまた違ってくると思います。アシスをかけたかどうかは、エンディングからするとあまり関係なく、むしろ薬の方が大きい要素となってくるでしょう。私個人の感想を述べると、テフォイではなくグローヴァが主人公の身代わりとなるべきではないでしょうか。元をたどれば、ダウマヌスが暗黒に手を染めた理由はグローヴァと言えなくもありません。「裏切者には死を!」ということです。ダウマヌスの異父の兄にあたるソージュを死に追いやった咎というのもわからなくはないのですが、私はグローヴァが身代わりになるべきだと思います。このあたりは、著者の意図と分かれるところだと思いますが。
 また、第二部が全部魔法戦闘になっていて、武器戦闘への切り替えが一切効かないのが気に入りません。呪文選択場面によっては「この中で知っている呪文がひとつもない」という場面もあったはずです。そういうときはどうするのでしょうか。トーナが武器戦闘の役割であったとしても、例外はあります。何でもかんでも杓子定規に魔法で解決するというのは少々構成が甘い気がします。
 また、この冒険の宿敵はもちろんダウマヌスですが、もう一歩踏み込んで「なぜダウマヌスが暗黒に手を染めたのか」というところまで設定するともっとよかったと思います。例えば、FFシリーズ33巻『天空要塞アーロック』での敵は、著者の意図ではル・バスティンですが、私はそうは思いません。私は、元凶はエンスリナの王ヴァークスだと思っています。これに関しては、また『天空要塞アーロック』の項で詳しく述べることにします。
 とは言っても、第一部でのストーリー性や登場人物、そして第二部でのトーナとの関係など、見所満載です。この作品の次の「ギャランスハート」で、東京創元社からはゲームブックが刊行されなくなったのが不思議に思えてなりません。他社の「大量生産」の煽りを食ってしまったのでしょうか…。

 こういったロマンスもなかなかのものだと思う――この本はそういった作品です。

2005/06/26


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