ベルゼブルの竜


 レムリア大陸最大の街ルクレオは、緑に包まれた美しい街であった。しかし、ここ十年来、土地の急激な砂漠化が進んでいた。このままでは、あと2〜3年のうちにルクレオは砂漠に没してしまうであろう。この重大なる危機を脱するため、町長は街一番の賢者に助言を求めた。それによると、ルクレオの危機を救うには、魔界の王ルシファー・ベルゼブルの居城ベルゼブル城に据えられている像“ベルゼブルの竜”の持つ魔剣のうちの一本アシュナード(再生の剣)の力を借りるより方法はないとのことだった。しかし、問題は、誰がそのアシュナードを取りに行くかである。魔界は、恐ろしい魔物や魔力を持つ魔族が棲んでいる。そのような危険な地に一体誰が赴くのかというのが非常に重要な問題だった。
 ルクレオで有名な部類に入る戦士である主人公は、この話を知るやいなや早速志願した。魔界へ行く手段は、北の岩山に棲む大魔術師カルドラドが知っていた。主人公はルクレオを救うべく、北の岩山へ、そして魔界へ向けて旅立つ……。

 『ベルゼブルの竜』は、かつて東京創元社が主催していた、第一回ゲームブックコンテストの入選作です。著者は茂木裕子氏です。あとがきによると、この『ベルゼブルの竜』及び『夜の馬』は、茂木氏のオリジナルストーリー「魔界物語」の一部をゲームブック化したものと言われています。
 後の作品である『夜の馬』も含めた茂木作品の特徴を述べてみます。
 茂木作品は「一方通行型」の構造で、最初に大きな街があってそこで装備を買い整え、以降は冒険の数々というパターンがあるようです。また、特殊なパラグラフジャンプがある場合は必ず「その番号に進む」という表記があり、パラグラフジャンプをし忘れないようになっています。表現としては、ところどころ( )内の補足説明にあたる描写があります。
 システム的な特徴としては、まず攻撃レベルと防御レベルのマトリクス表が挙げられます。これは新しいアイデアではありますが、少し見づらい気もします。また、自分の攻撃レベルと相手の防御ポイントによっては勝負にならない(例えば、相手の防御ポイントが10のとき、自分の攻撃レベルが6以下ではどうあがいてもダメージにならない)という難点もあります。せめて「サイコロの目が12ならばいかなる防御レベルであろうと3点のダメージ」などというルールを付け加えれば何とかなったと思います(もしかすると、この不具合の改善作が「魔人竜生誕」かもしれません)。「戦闘時の運だめしはできない」とあるのは、FFシリーズを意識しての表記というのは想像に難くはないと思います。
 この作品においては、魔法も登場します。主人公は戦士ですから魔法は使えないと思いきや、魔法もきちんと使えるのです。「炎の指」と「雷の指」という2つの魔法が合計で5回使えます。炎よりも雷の方が絶対強い、というわけではないようですが、この作品では「雷の指」の方が役立つ場面が多いようです。また、強力な魔法「魔力消去」の術は、使うべきときに使えないとDEADENDにつながります。切り札は取っておくものです。
 私が個人的に気に入っているキャラクターは「賢者の冑」です。言葉をしゃべる冑というのも面白いものです。しかし、「賢者の冑」は、その産みの親であるルドルフォとの再会を待ち侘びています。ルドルフォと出会ったとき、何をすべきかはわかるはずです。ルドルフォと別れてからの場面では、どちらにしても「賢者の冑」の特典は得られなくなります。敵の本拠地に近くなったら、これまでの有利な特典は全てなくなるというのもうまい処理方法です。84番に行き着いた人は、普段の自分の行いを反省する必要があるでしょう。
 構造としては決して悪くないのです(そうでなければGBコンテストに入選しません)が、個人的には茂木作品は全体的にあまり好きではありません。
 その最大の理由は、茂木作品全般が、人間を下等な短命動物と設定しているからです。本文の( )の文章を拾い読みしていくと分かりますが、魔族と人間の意見が衝突した場合、「絶対に魔族の意見が正しい」ものとして話が進んでいるからです。言わば「泣く子と地頭には勝てぬ」状態です。これでは、著者自身も人間の癖に、著者は人間をバカにしているのか、と思われても仕方がありません。元祖ドラゴンバスターの如く、読み進めていくうちにだんだん腹立たしくなっていきます。茂木作品は主人公が魔界の者たちに対して必要以上に畏れ、卑下し、買いかぶり過ぎており、個人的には好めません。そもそも、「魔界物語」は「ゲームブック」化するべき作品ではない気もします。

 ところで、この作品は昭和の作品です。やがて、時代は平成に移り変わり、『夜の馬』が登場します。

2008/03/24


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