王たちの冠
《王たちの冠》
を取り戻すための旅を続けてきた主人公は、ついにマンパン砦が見えるザンズム連峰までやって来ました。
しかし、砦への道は険しく、砦に侵入することはおろか砦の入口に行き着くことさえそう簡単なことではありません。
そして、首尾よく砦に入ったとしても、マンパン砦の中は
女神リーブラ
でさえ入りこめない領域です。砦の中は、
女神リーブラ
の助けを得ることはできません。それでも任務を達成するために、先へ進みます。
砦の中には「スローベン・ドア」と呼ばれる、魔法で閉ざされた扉があります。この扉を無理にくぐるのは自殺行為です。何とかして無事に「スローベン・ドア」を通り抜ける方法を見つけなくてはなりません。
4つの「スローベン・ドア」をくぐり抜けた後はいよいよ大魔王と対面するはず……ですが………。
いません。大魔王がいないのです。行き着くところまで行き着いて、大魔王らしき男には会うのですが、この男が大魔王である確固たる証拠がありません。しかし、向こうは既にこちらの正体と任務を知っています。そして、大魔王の謎が解けぬまま投獄されてしまいます。
投獄された牢で再会したのは…なんとミニマイトのジャンでした!…こいつのせいで、どんなに測りしれない迷惑を被ったことか。またこいつのせいで…と思いきや、ジャンから重要な情報を聞くことになるのです。ジャンによって、大魔王そして未だ知られざる
呪文
の謎が解き明かされます。時間と空間を越えて、今度こそ大魔王といざ対決!!
『王たちの冠』(復刻版では『諸王の冠』)は、ソーサリーシリーズの第4巻、完結篇です。項目数は、なんと800に増えます。総項目数のうちの実に3分の1以上がこの4巻なのです。
実を申しますと、
私が一番初めにプレイした
ソーサリーシリーズがこの『王たちの冠』です。完全なる手順前後です。当時、本屋にあったゲームブックを手当たり次第に買っていた私は、ソーサリーが「シリーズもの」であることなど微塵も思っていませんでした。「ソーサリー4」という表示など目にも留まらずに買った記憶があります(笑)。この間に48種類の呪文を全部覚えてしまいました。そして、第3巻以前に飛ばされたときに、4巻から始めたことを後悔しました(爆)…。
これは1巻から始めた方が良いな、と思って1巻を買って始めた頃には、既にニセの呪文を全部見抜いていて「こんな呪文ないだろう」と思った記憶があります(先走った報いですね)。
第1巻で得たアイテムが第4巻でやっと役に立つということも出てきました。
また、第4巻は最後の巻らしく結構シビアな道のりです。正しいルートを選んでいないと、途中で死んでしまうことも少なくありません。あと、3巻までの状況によっては、どうあがいても4巻をクリアできないこともあります。自分の信ずる者は、安易に変えない方が無難です(笑)。
最後、大魔王に会うためのパラグラフも、実に良く出来ていると思います。一度は素通りしてしまうという演出…見事です。
こうして、全4巻のおおまかな流れと自分なりの感想を述べてきましたが、いかがでしたか。
原版である東京創元社版の方は既に絶版になっているので、現在は復刻版の創土社版の方しか手に入れることができません。私は原版と復刻版の両方を知っているので、双方の比較を申し上げますと、雰囲気的には原版の方が好きです。冒頭の説明も言葉尻が丁寧なので、馴染みやすいというのがあります。また、女神リーブラも「女神」らしく非常に柔らかい口調をしています。復刻版の女神リブラは、話し言葉が少し冷たい気がします(マンパン砦に入る前の会話では少し解消されていますが)。冒頭の説明も、いきなり荘厳な感じを受け、原版で慣れてしまっている私は既に受け付けられない体質になっているのかも知れません。ただし、第2巻のクーガの寺院だけは別です。あれは復刻版の方に軍配が上がります。翻訳が正確だからです。いずれにしても言えることは「完璧な翻訳は存在しない」ということですね。原版も復刻版も、原文は同じはずです。それが訳し方によって意味は同じでもあれだけ表現方法が違っていると雰囲気すら違ってきます。どちらがいいかは…あとは読者次第というところでしょう。
これだけの超大作でも全体を通してパラグラフの「バグ」は、やはりいくつかありました。 鈴木直人著の「パンタクル」も、細かい「バグ」が修正されて「パンタクル1.01」というタイトルで再刊されたので、ソーサリーシリーズも、もしスティーブ・ジャクソン氏がこの文章を読んでおられるのならば(←それはまずないだろう)、ぜひ
ソーサリー1.01
などというタイトルでリメイクして欲しいなあと密かに思っています(笑)。
2005/05/17
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