仮面の破壊者


 主人公は、クールの北東にある都市アリオンの立派な君主だ。
 ある日、魔術師アイフォー・ティーニンから呼び出しがかかる。アイフォーによると、北部山脈の中のクリル・ガーナッシュの五つの峯に住んでいる邪悪な魔女モルガーナが、12種類の印をつけた仮面を石の怪人ゴーレムにかぶせて魔力を解き放ち、世界征服を企んでいる。
 今のところ、“仮面の破壊者”と呼ばれるゴーレムは11体まで完成している。印があと1種類揃い、ゴーレムが12体とも完成してしまうと、万物を支配する力はモルガーナのものとなり、世界はモルガーナの思いのままになってしまう。
 アイフォーによると、この恐ろしいモルガーナの企みを阻止できるのは、アリオンの領主である主人公だけだという。
 アイフォー・ティーニンは魔術の知識を持っていて、確かに彼はアリオンを統治するのには非常に重要な人物だ。しかし、主人公は未だアイフォーを完全には信用していない。一抹の不安を胸に、主人公はモルガーナを討伐する旅に出発する。
 出発前、主人公は武器庫に立ち寄り、主人公の信頼するケヴィン・トゥルーハンドに主人公の剣と兜を手入れしてもらう。その間に、ケヴィンから助言を得る。それによると、枯葉の谷の領主ヘヴァーの城を探し、彼から“ヘヴァーの角笛”をもらうと良いらしい。だが、ケヴィンは主人公がヘヴァーの城に滞在している途中、何者かによって殺されてしまう。背後にどんな裏切り行為があったのか。主人公は、謎のまた謎に包まれて行く…。

 FFシリーズ23巻『仮面の破壊者』は、18巻『電脳破壊作戦』に続くロビン・ウォーターフィールドの著書です。
 背景や場面場面、そして状況の理論的な描写など、文章表現に長けてます。これだけのものを書くのは、容易なことではありません。私が個人的に気に入っている表現をいくつか例に挙げてみます。
 まず、142番の「氷巨人は邪悪な生き物ではないので、ヘヴァーの角笛はここでは効果がない」という説明がなかなかのものです。主人公に襲い掛かってくる理由によってヘヴァーの角笛が効くか効かないかを判定できるのです。敵がモルガーナの手先の者で、最初から主人公を殺す目的で襲ってきたのならヘヴァーの角笛は効果があります。しかし、単に主人公を自分の食糧にするのが目的で、誰でもよいがたまたま主人公が通りかかったから主人公を狙った(あるいは自分の気分を害したから主人公に襲い掛かった)というのであればヘヴァーの角笛は効果がありません。氷巨人は後者の「食糧にする」のが目的の敵なので効果がないわけです。この規則は、特に書かれていなくても今後適用されます。
 あと、272番の「君が魔法のブーツをはいていても、ここでは効果がない。ここで使うのは足ではなく手なのだから」という文章も、状況が理論的に説明されていて思わず「なるほど」と感心してしまいます。
 最後の裏切者を突き止めた時も、個人名を挙げず「君が思っていたとおりの人物」と表現して、付近のパラグラフ(39,41)に着いてもそのカラクリがばれないように配慮してあります(これは卓越した翻訳のおかげでもあります)。背景の伏線と見事に辻褄が合っていて「なるほど」と全ての謎が明らかになります。その割には400番をもう少し書いて欲しかったのですが…(笑)。
 それから、88番には数学の「組み合わせ論」が出てきます。12種類の印の作り方―なぜ12体のゴーレムか―が、ここでわかります。単に最後の謎を解くというよりも、その意味を知るという点でヴァシティと話をする必要があるのです。
 しかし、文章力がこれだけ素晴らしいのに対して、パラグラフ構成がその分お粗末になっている点が認められます。
 まず、このゲームブックをクリアするのには、どんなに正しいルートを選んでいても6分の1の確率(完全な確率で、運だめしの要素も一切入らない)でしかクリアに絶対必要な手がかりが入らないという点です。これは、ゲームブックの構造における禁じ手です。少なくとも私はそう思います(同じ理由で、東京創元社の『暗黒教団の陰謀』も悪質の部類に入りますが、これについてはまた別の機会に述べることにします)。クリアするのに必要なアイテムや手がかりの入手をサイコロ運で決めて難易度を上げるという思考は全く以って稚拙極まりない発想です。それでは、双六と何の違いもありません。クリアされた方はもうお分かりでしょうが、この冒険での重要なアイテムである宝珠を手に入れるためには水中に入って鰐と戦った後に水中のきらめきに気づかなくてはなりません。しかし、それに気づく確率はわずか6分の1です。恐らくウォーターフィールドは、新しい試みのつもりでこの手法をとったと思われますが、それでもこれが非常に稚拙で姑息な手法であることには変わりないのです。この手法は、24巻『モンスター誕生』の最初の方でも出てきますが、これはまだ罪が軽い方です。これも勿論禁じ手の部類なのですが。この手法は、野火のところでも用いられていますが「正しい(最善)選択」をしてもデッドエンドになる確率が3分の1もあります。これは、腹立たしいだけです。
 それと、最後のモルガーナを倒した後のパラグラフ処理が甘すぎます。矛槍草の大平原でモルガーナに呪詛の言葉を吐かれた(11,179)場合、モルガーナの企みをより深く知ることができます。「私たちのちょっとした計略」というのが曲者です。矛槍草の大平原でモルガーナに呪詛の言葉を吐かれた場合、運点こそ2点失いますが、モルガーナは言わば「語るに落ちた」わけです。しかし、それに関する優遇が136番というのでは、わざわざ「矛槍草の大平原でモルガーナに呪詛の言葉を吐かれたか否か」で分類する意味が全くありません。これなら、スパッと「戦いに勝ったら81へ進め」とだけすればすっきりします。わざわざデッドエンドパラグラフのためだけに割く無駄なパラグラフを2項目も節約できます。
 また、背景がある程度の伏線になっているとは言え最後の謎が「カタカナ英語」の苦手な読者にはちょっときつい気がします。ソーサリー2巻『城砦都市カーレ』の北門を開ける呪文と同じことです…。
 表現力がこれだけ秀逸な作品だけに、パラグラフ構成に重大な欠陥があったのは残念です。巻末の<解説>の最後の段落にはこうあります。
 一生懸命に考えても、それが報われないゲームブックもあります。しかし本書は、考えるに足るだけの謎をもった本です。ですから、読者の皆さんには、けっしてズルなどしないで、冒険を終えて欲しい。頭を使って正々堂々と勝つことができる快心作であります。
 しかし、私はこの最後の段落には賛同できません。
 以下、私の意見と照らし合わせてみます。

一生懸命に考えても、それが報われないゲームブックもあります。
  → それは、まさにこのゲームブックのことですね。

しかし本書は、考えるに足るだけの謎をもった本です。
  → 確かに、これは言えます。

ですから、読者の皆さんには、けっしてズルなどしないで、冒険を終えて欲しい。
  → 読者がズルをしなくても、著者がズルをしているのだから仕方ありませんね。

頭を使って正々堂々と勝つことができる快心作であります。
  → 正々堂々としても結局最後はサイコロ運次第。この点から見れば決して快心作ではありません。

 ちなみに私が一番最初にこれをプレイしたときは、たった3パラグラフで死亡しました(泣)。「男だったら最短距離だ!」と意気込み、見事にクラーケン氏によって、湖の水中への半永久的なご招待(笑)…。
 最初のサイコロの目がかなりよかっただけに、これはかなりショッキングでした。「死の湖」という名前に警戒するべきでした…。

2005/06/25


直前のページに戻る

トップに戻る


(C)批判屋 管理人の許可なく本ホームページの内容を転載及び複写することを禁じます。