フリーウェイの戦士


 崩壊は、まさに世界が大いなる進歩への道を歩き出そうとしたそのときにやってきた。文明が崩壊するなど、誰が予想していただろうか…。
 2022年8月21日、ニューヨークで原因不明の疫病が発生した。その疫病は、信じられぬ速度で世界中に蔓延して行った。
 たった4日間で全世界の人口の85%が失われた。あの黒死病ですらイギリスの人口を50%失わせたに過ぎないのだから、これがいかに恐ろしい疫病かは想像に難くなかった。しかし、何が原因かは、今となっては誰もその真実を知ろうとはしなかった。たとえ知ったところで、もはや何の役にも立たないであろう。生き残った人類にとっては、その日を生き延びることだけで精一杯だった。
 文明崩壊から半年が経過した。世界は大きく分けて二種類の人間に分けられるようになった。文明の再興を図る者と、暴力と破壊を好む者に。
 主人公は運よく疫病に耐え、ニュー・ホープという街で文明の再興を図ろうとする者と一緒に暮らしている。ある日、ニュー・ホープと提携を結んでいるサン・アングロの製油所から連絡が入った。サン・アングロでは穀物の種が不足しており、もしも穀物の種を運んできてくれたら、その代金として石油1万リットルを支払おうということだった。十分な穀物のストックのあるニュー・ホープにとってはまさに夢のような取引だった。1万リットルの石油さえあれば、ニュー・ホープ中にある機械を動かせてなお余りある。文明再興に大きな役割を果たすことは間違いない。
 無論、ニュー・ホープからサン・アングロまでの道のりは無法地帯そのものであり、何の装備もなしに行くのは自殺行為である。そこでニュー・ホープ評議委員会は、この任務を受けて立つ主人公にニュー・ホープ一の高性能かつ重装備を誇るダッジ・インターセプターを用意した。更に、銃撃戦や格闘戦のための武器もきちんと装備する。
 サン・アングロ製油所へ穀物の種を渡し、代金として石油1万リットルを受け取り無事にニュー・ホープまで持ち帰るという、ニュー・ホープで最大かつ最重要な仕事が始まる。ニュー・ホープの人達全員が見送る中、主人公は無法地帯へと出発する…。

 FFシリーズ第13巻『フリーウェイの戦士』は、イアン・リビングストンの作品です。
 何と言っても、愛車のダッジ・インターセプターがカッコイイですね。弾丸が十分入っている機関銃やロケット弾、鉄菱やオイルまで入っています。この作品をプレイしていると、何だか自分が実際に戦車を運転しているような気がしてきます(私が「運転免許を取ろうかなあ」と実際に思い始めたのは、この『フリーウェイの戦士』をプレイした頃でした)。
 『セーラー服と機関銃』の薬師丸ひろ子の如く、機関銃を思い切り乱射して「カ…イ…カ…ン」と つぶやく…確かにあれは快感です。いや、あれを上回る描写です(笑)。ロケット砲ならば一発で敵の車両を破壊できますから、その爽快さは機関銃以上でしょう(こ…怖い…)。
 任務が任務なので、特に謎解きは出てきません。ただひたすらサン・アングロを目指すのみです。道に迷ったりすることもほとんどありません。
 しかし、戦闘方法を選ぶ余地があまりなく、すぐに『格闘戦』『射撃戦』『車輛戦』に入ったのは少し強引な気もします。謎解きなどがない分、せめて戦闘くらい多彩であって欲しかったという気がしないでもありません。選択できるのはせいぜいサン・アングロに着く直前の、アニマルとの1対1の格闘戦かグループでの車輛戦かの選択くらいのものですが、無法者達が約束を守るとは到底思えないのでどちらが安全かは大体想像がつくと思います(それに技術点が低い場合は車輛戦を選ぶ可能性が圧倒的に高くなります)。あとは、帰り道のバイクの運転手が決闘を申し込みますが、これもあまり意味はありません。鉄菱やオイルなども使う場面が限られ、「こういう場面で使いたいなあ」と思っても使うことができなかったのも残念です。
 そして、多分多くの人が不満がったのは「何でたかがガス欠でデッドエンドなんだ?」ということでしょう。冒頭で「車(ダッジ・インターセプター)には予備の燃料が積まれていません」と書いている時点で、肝腎な部分で準備不足だと言われても文句は言えません。スペアタイヤのストックは十分あっても、予め燃料消費量が多いことが分かっているのに予備の燃料を入れないのは明らかに撞着しています。仮にも車の整備士の端くれならば、この程度のことは知っていて当然のことでしょう。それとも、元々ニュー・ホープで調達できる燃料はこれが限界だったのでしょうか。そういう設定ならば致し方ないところでしょうが…。
 あと、最後のエンディングが呆気なさ過ぎます。評議会委員長のシンクレアがギャングどもに捕らえられてしまいますが、別にシンクレアを救出せずとも物語は進みます。シンクレア救出の成否は問わず、ニューホープに石油さえ持ち帰ればクリアと言えるのが少し甘い気がします。これなら、最初からシンクレアのことは書かない方が無難だったかも知れません。あるいは、これは一種の「マルチエンディング」だったのでしょうか。
 総項目数が従来よりも少ない380でこれだけのものが書けるのですから、もうあと20項目分何かを付け足して欲しかったという気がします。

 この作品は、ノストラダムスの大予言ならぬ、ノスト・リビングストンの予言なのかもしれません。もしかすると、リビングストンのアメリカに対する警告なのかも知れませんね。

 〜〜どうか2022年8月21日が無事に過ぎますように。〜〜

2005/06/04


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