サソリ沼の迷路


 ある日、主人公は街道でぐったりしている老女に出会う。今にも死にそうな老女だったが、木陰に移動させ、皮袋の水を飲ませて次の街まで送り届けるうちに、彼女はだんだんと回復していく。そして、別れの際老女から一見すると平凡な真鍮の指輪をもらう。送り届けてもらったお礼だった。そして「あなたが道に迷わないように」という祝福の言葉ももらう。
 別れたときは気づかなかったが、なんとこれは魔法の指輪だったのだ!彼女の祝福の言葉は、単なる言葉だけではなかったのだ。この指輪をはめている限りは、どこにいても北の方角を指し示してくれる。更に、この指輪は「悪意」を感じ取ると途端に熱くなり、警告してくれる。どんなに狡猾な詐欺師もこの指輪の魔力には勝てない。この指輪には測り知れない価値があるのだ!
 サソリ沼に近いフェンマージという村では、サソリ沼についての噂が流れていた。白魔術を使う者にとってこの上ない程貴重なアンセリカの果実がサソリ沼のどこかに生育していること、サソリ沼を抜けた先にはウィロウベンドと呼ばれる町があること、最近あるじと呼ばれる魔法使い達がサソリ沼に移り住んだことなど、色々な噂が錯綜していた。
 だが、敢えてサソリ沼に踏み込もうとする者はいなかった。というのも、サソリ沼は非常に危険な地だからだ。何が一番危険かと言うと、サソリ沼では方角がわからなくなるのだ。サソリ沼に比べたら樹海などほとんど一本道に見える。ひとたびサソリ沼で迷ったら最後、残る一生をサソリ沼で過ごすことになる。そして、未だサソリ沼の地図を正確に描いて無事に持ち帰った者はいない。
 どうやら、老女――実は力のある魔女――からもらったこの真鍮の指輪の魔力を最大限に発揮する機会が訪れたようだ。この指輪さえあれば、たとえサソリ沼と言えども方角を見失うことはない。今こそ、サソリ沼での冒険が実現するときがきた。サソリ沼の財宝を手に入れるのも夢ではない。そして“初めてサソリ沼を踏破せし者”という名声を得ることも――。

 これまで、FFシリーズはスティーブ・ジャクソン、イアン・リビングストン両氏のみの作品(あるいは両氏の合作)でしたが、8巻目にして、初めてこの二人以外の著者の作品が登場しました。
 8巻目のFFシリーズは、題して『サソリ沼の迷路』です。
 気になる著者ですが、著者はスティーブ・ジャクソンです。
 「…って、オイふざけるな!どこがジャクソンとリビングストン以外なんだ。『サソリ沼の迷路』もスティーブ・ジャクソンの作品じゃないか!」と憤る方もいらっしゃると思いますが、話を最後までお聞きくださいませ(笑)。
 これまでのスティーブ・ジャクソン英国(イギリス)のジャクソンでした。しかし、この『サソリ沼の迷路』の著者は、なんと米国(アメリカ)のスティーブ・ジャクソンなのです!
 これは驚きです。何しろ同姓同名のゲーム作家“スティーブ・ジャクソン”がエゲレス(笑)アメリカにそれぞれいるのですから。尚、これまでは単にスティーブ・ジャクソンとだけ称していましたが、これ以降はイギリスの(つまり『火吹山の魔法使い』の方の)スティーブ・ジャクソンは英ジャクソンアメリカの(『サソリ沼の迷路』の方の)スティーブ・ジャクソンは米ジャクソンと称することにします。

 さて、米ジャクソンのFFシリーズのデビュー作『サソリ沼の迷路』は、これまでの7巻にはなかった要素をもっています。
 まずは、同じ場所へ何度も行くことのできる「双方向型システム」です。これまでのFFシリーズ(ソーサリーも含む)は、先へ先へとどんどん読み進んでいく「一方通行型システム」でした(『火吹山の魔法使い』の“ザゴールの迷路”の部分は双方向型ですが、全体的に見ると一方通行型です)。しかし、『サソリ沼の迷路』は、冒頭からサソリ沼に入るまでは一方通行ですが、サソリ沼に入ってからは(つまりメインの部分では)双方向型のゲームなのです。つまり、同じ場所に何度でも行くことが出来るゲームブックなのです。日本のゲームブック作品には、この「双方向型」が多く、鈴木直人氏の「ドルアーガシリーズ」や「パンタクルシリーズ」、林友彦氏の「ネバーランドシリーズ」「ウルフヘッドシリーズ」などがその例です。
 しかし、双方向型ゲームブックには、これまでにはなかった問題点が出てきます。ある場所に二度以上行く場合の処理です。例えば、初めて訪れたときに財宝などを手に入れれば、もう財宝はそこにはないはずです。一方通行型なら同じ場所を二度通ることはないのでこの処理についてはあまり考えなくても良いのですが、双方向型の場合はそうはいきません。
 米ジャクソンは、その部分もうまく処理しています。「まえにもここへ来たことがあれば、XXXへ進め。」として、二度目以降に訪れるときには別の(場合によっては同じ)ことが起こるようにしているのです。日本版ゲームブックでも、前述した林氏の作品は「キーNo.」、『エクセア』(宮原弥寿子著、1989年 東京創元社)では「きみは●●を持っているだろうか?」とアイテム所持の有無で双方向型の処理をしています。
 もう1つの新しい要素として挙げられるのが「マルチエンディング」と呼ばれるクリアのシステムです。「マルチ」というとマルチ商法を思い浮かべるかも知れませんが、もちろん!…違います(笑)。この場合の「マルチ」とは「様々な」というくらいの意味でしょうか。クリア場面が1つではなく複数あるということです。
 これまでのFFシリーズは最終パラグラフである400番(4巻は340番)だけが“HAPPY END”でした。しかし、この作品は最初に出てくる3人の魔法使いの誰に仕えるかで、冒険の目的がそれぞれ違ってきます。ですから、少なくとも3種類の“HAPPY END”が必要になります。3人の誰に仕えたかによって結末が違うのですから、一度クリアしてもまた別の魔法使いに仕える冒険ができるわけです。このゲームブック、普通のゲームブックの3倍は楽しむことができるのです。
 その証拠に、『サソリ沼の迷路』は400番が“HAPPY END”にはなっていません。米ジャクソンの作品は、本作品と19巻『深海の悪魔』、そして22巻『ロボット コマンドウ』ですが、この二つも400番が“HAPPY END”ではありません(むしろ『ロボット コマンドウ』は、場合によっては普通のEND(デッドエンド)になる番号です)。 
 英ジャクソンか米ジャクソンかの作品を見分ける極めつけの方法が、最終番号(400番)を見てみることというのがあります。400番が“HAPPY END”になっていたら英ジャクソンさもなければ米ジャクソンの作品です。
 サソリ沼へ赴く際、仕える魔法使いによって、それぞれ<善><中立><悪>の三種類の魔法を授かるわけですが、この魔法は「バルサス型」(消費体力点はないが、一度しか使えない)です。やはり「ソーサリー型」は、限られた400パラグラフでは難しいのでしょう。

 それにしても…この真鍮の指輪があれば、今流行のオレオレ詐欺などには絶対に引っかからないんですけどねえ…(苦笑)。
 あと、どうしようもないことを考えついたのですが、真鍮の指輪を北極点で使うと一体どうなるのでしょうか(←本当、どうしようもないこと…)。

2005/05/29


直前のページに戻る

トップに戻る


(C)批判屋 管理人の許可なく本ホームページの内容を転載及び複写することを禁じます。