×しかつけない教員への不信感


 私の小さい頃、学校の先生になりたい理由のひとつとして「マルをつけるのが好きだから」というのがあった。今振り返ると、子供ながら随分単純な理由だったと思う。今の時代にも「マルをつけるのが好き」な子供は多分いるだろう。しかし、これは教員にとって非常に重要なことなのである。
 私の高校時代の国語の先生に、定期試験で×しかつけない先生がいた。返却された答案を見てそれがわかった。その答案には×しか書かれておらず、正しい答えには何も書かれていなかったのである。こんな採点をされたことのなかった当時の私は驚いた。そして、驚いた後、だんだん腹立たしくなってきた。なぜ合っている答えに○をつけないのかと。
 確かに、ふるい落とすのが目的である受験の採点では×しかつけない採点方法もあるかもしれない。点数を加算して計算間違いをするよりは、満点から間違っている答えだけを引いていって減点数を数え上げていった「減点方式」の方が効率が良い。しかし、日頃の成果を測る定期試験に×しかつけないのはどうかと思う。○をつけないということは、つまりは「合っていて当然の問題ができなかったからこいつはダメだ」と言っているに等しい。これでは、自分の思うように行動しない生徒のあら探しをしているようなものである。この「減点方式」では、仮に100点満点で90点を取っていても「90点もとった」のではなく「満点に10点足りない」という意味でしか捉えられず、結局は運転免許の試験官のような見下し目線になり下がる。これでは信頼など得られるわけがない。現に、私はその国語の教員を心から信頼することができなくなってしまった。
 そのような理由で、私は生徒の答案を採点するときには必ず○をつけるようにしている。そして、たとえどんなに遠回りになったとしても、点数を加算方式で出している。これは、生徒への誠実さを示す私なりの方法なのだ。

2009/01/27


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