学校としての塾と企業としての塾


 私は、あまり『時事ネタ』を日記に書いたり更新記事に使うのは好きではありません。
 しかし、今回の事件は自戒の意味を込めて掲載させていただきます。

 12月10日の午前中、京都府の学習塾で塾講師が塾生徒を殺害するという事件が発生しました。
 いつもならば「また穏やかでない事件が起きたか」で済ませるところですが、今回はそうもいきませんでした。というのも、私はこれでも一応教育職員免許状を取得しているからです。
 以前、私も自分自身の油断から塾の生徒と口論になったことがあります。そのとき、感情を先走らせてはいけない立場にある者が感情を先走らせてしまい、数回怒鳴ってしまいました。幸い当時の教室長のとりなしによって、どうにか収拾はつきましたが、これは明らかに私の生徒への手抜き・不義不忠でした。私自身が、軽蔑すべき「他人にうるさく自分に甘い」輩に成り下がっていたのです。
 恐らく、殺害された塾の生徒は8〜9割方は正論の『塾講師への不満』を常日頃から抱えていたのでしょうね。しかし、今となってはそれもわからないでしょう。確かに殺した塾講師が悪いのでしょうが、私はそれ以上にその塾の経営者に腹が立ちました。これは教室長ではなく、この企業としての組織のトップ――つまり、『社長』の役職に就いている輩という意味です。
 聞くところによると、その塾には監視カメラが設置されていたらしいのですが、それほど企業は講師を信用できなかったのでしょうか。そもそも監視カメラを塾の教室内に設置する意味がどこにあるのでしょうか。『万が一のため』に監視カメラを設置していたとすれば、全くの無価値です。現にこのような事件が発生してしまったわけですから。私に言わせれば、塾の経営者は無能です。たとえ塾内の収益が前年度に比べて飛躍的な黒字をたたき出したとしても、塾の生徒の命に比べたらゴミクズ同然の価値です。
 ちなみに、私がかつて勤めていた塾でも、収益のことしか考えていない経営者がいました。『社長』にとって大切なのは、生徒ではなく生徒です。「前年度と比べて何%下がっているからここの教室は無能」などと、日々の生徒数の変動に一喜一憂し、目前に迫っている現実的な問題を知らない。状況を碌に把握していない癖に「生徒数を増やせ」と一方的に言い続ける。

『社長』よ、お前こそ無能なんだよ!

 かつての自分勝手な学校の教員達の「手抜き」により、現在の学校の教員にその皺寄せが来ています。かつての小学校教員に対する皮肉として『試験あっても指導なし』とあります。それに関連して考えれば、もしかすると学習塾そのものが偽の教育の元凶かも知れません。
 大切なのは、志望校に受かる前ではなく受かった後なのです。
 選挙に立候補する連中も然りです。奴らが必死なのは投票日前だけです。これでは、道理も無理になります。

 収益のことしか考えていない馬鹿『社長』どもよ、真に殺されるべきはお前達だ。

2005/12/11


直前のページに戻る

トップに戻る


(C)批判屋 管理人の許可なく本ホームページの内容を転載及び複写することを禁じます。