『国語』ではなく『日本語』の研究


 私は一応「日本語教育研究所」という研究機関に所属しています。
 本日、研究発表会がありました。その中で、前から言われている「日本語の乱れ」を改めて痛感させられた次第です。
 最近は「日本語に関する書物」とやらや漢字の読みに関するテレビ番組が多くなって来ていますが、私はその手のモノは断固否定的な見方をします。というのは、どちらも発行元はテレビ局の息がかかっているからです。
 辞書ですら所詮人間の書いたものですから、間違いは当然あります。私も国語辞典や漢和辞典などの日本語に関する辞書は何冊か持っていますが、同じ言葉の説明なのに辞書によって随分違ったりします。根本的な意味が統一されているのであればまだいいのですが、そうでもないのが問題です。辞書によっては「誤用」だったり「慣用化」だったりして、「一体どっちなんだ!」と思うことも屡(しばしば)です。最近の「日本語に関する書物」とやらは、一冊の辞書を盲信している感を免れません。
 私が、漢字の読みに関するテレビ番組を否定している最大の理由は、無駄な金を出演者どもに撒き散らしているからです。最低限の知識もない阿呆な芸能人がたまたま正解したときに賞金を出す――テレビ局のプロデューサーは一体何を考えているのでしょうか。私がプロデューサーならば、「出来て当然のレベル」の問題を間違えた場合には罰金を徴収するところです。
 日本語教育研究所の中には最近の「教養」バラエティー番組は目も当てられないと断言された方がありました。確かに、それはその通りです。「出来て当然」レベルの問題を正解したら賞金――こんなことばかりしているからお金の流通が偏るのです。
 それから、小学校低学年の教員は、「国語」ではなく「日本語」教育を自分なりに体系化する義務があります。私の小学校低学年時代の教員も、今思えば「生徒にうるさく、自分に甘い」輩でしたね。現在の兇悪犯罪年齢の低下は、過去の教員どもの十中八九が「生徒にうるさく、自分に甘い」輩であって、そのツケが現代に回ってきているという見方もあります。「子供だからわからない」という考えを持つのは自分に甘い証拠です。子供を見くびれば、そのツケは当然自分に返ってくるわけです。
 かく言う私も、過去の「はやり病」の言葉に惑わされてはいないか、それが気がかりです。「流行語」に感染していないと100%自信を持って言えるかというと、言えません!私も気をつけなくては…。

PostScript
 毎年11月12日から、その年一年を象徴する漢字を募集するそうです(実は私も今日一票入れて来ました)。
 このところ、あまり良いイメージの漢字が出て来ていませんが、仕方がありませんね。

2005/11/12

2011年4月より「漢検生涯学習ネットワーク」と改称(2011/02/01)


直前のページに戻る

トップに戻る


(C)批判屋 管理人の許可なく本ホームページの内容を転載及び複写することを禁じます。