ドラえもんは芸能人に非ず


 物がはびこった2007年も、今日が最終日です。「大晦日の番組というと何を連想する?」と聞かれたら、多くの人は「紅白歌合戦」と答えると思います。しかし、私は真っ先に「大晦日だよドラえもん」と答えます。大晦日の風物として私の頭の中の大部分を占めており「大晦日だよドラえもん」を見ずして年は越せないというのが私の中にはあります。
 しかし、最近はその気持ちが薄くなりかけてきました。というのは、近年ドラえもんが“芸能人化”している傾向にあるからです。
 1996年9月23日、原作者である藤子・F・不二雄氏が亡くなってから、『ドラえもん』は弟子の方々や他のアニメーターの人などに受け継がれてきましたが、受け継がれたと行っても所詮は別人、藤子・F・不二雄氏の遺志を完璧に継げるわけはありません。そこで、後継者たちは試行錯誤を重ねて様々なアレンジをしたわけですが、私個人としては、それらのアレンジは決して良いものとは言えません。
 最近のドラえもんは、ドラえもんとテレビによく出ている人物を知り合いにしています。言わばドラえもんを“芸能人化”している傾向にあります。昨年(2006年)の「大晦日だよドラえもん」で関西の芸能人たちと共演したのはまさにその極みと言えるでしょう。これでは、「みんなのドラえもん」が「芸能人だけのドラえもん」になってしまい、ドラえもんの知り合いが芸能人に限定されてしまうことになります。
 ドラえもんが“芸能人化”した第一歩は、2000年2月11日(金)「窓際のトットちゃん」で知られる黒柳徹子氏の番組『徹子の部屋』で大山のぶ代氏ではなくドラえもんが出演したことだと思います。この頃からだんだんドラえもんの“芸能人化”が進んできました。映画ドラえもんの声優も、声優ではない芸能人が行い、その稚拙さに目も当てられぬという状態が目立ちました。主題歌も当時の人気歌手が歌い、その人気さで映画の質の悪さがごまかされたという年もあります。特に、1999年の映画「のび太の宇宙漂流記」の舞台挨拶は、沖縄県出身の某歌手グループだけを見に来ていた輩が多かったのを覚えています。ただ純粋にドラえもんの声優陣だけを見たかった私にとって、その歌手グループは邪魔以外の何者でもありませんでした。
 原作者は死せどもドラえもんは健在なのは、ドラえもんに無限の魅力があるからに他ならないと思います。ただ、その魅力の恩恵を芸能人だけに限定させるのは考えものという気がしてなりません。

Post Script
 今年の「大晦日だよドラえもん」は、昨年ほど“芸能人化”の傾向は見られませんでした。堀北真希(2008年映画『のび太と緑の巨人伝』のリーレ役)がドラえもんのえかきうたに出ていましたが、今やその程度は「許容」すべきことなのかもしれませんね。

2007/12/31


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