『ドラえもんの最終回』に関するデマ


 かれこれ20年程前になるでしょうか、小学生用の国語の問題集に「ドラえもんの世界は、植物人間のび太が見たほんのひと時の夢でした」などという至極残酷なことが書かれていました。仮にも問題集がデマを書くはずもなかろうと当時は思っていましたが、今思うとなんと稚拙極まりない問題集だったことでしょう。何が本当で何が嘘かも自分で調べようとせずに噂をまことしやかに書いて売るなんぞ詐欺罪です。
 今ではそうでもありませんが、藤子・F・不二雄氏没後1〜2年の間(1997年〜98年頃)は、やはり「ドラえもんの最終回は『植物人間のび太』だ」という根も葉もない噂が錯綜していたようです。なんという愚劣なことか。
 現在では、他のサイトでも「生前の藤子・F・不二雄氏も決して『ドラえもんの最終回は決して残酷なものにはしない』とおっしゃっていた」という内容が述べられているので敢えて私がここで述べるまでもありませんが、私なりの考察をしてみることにしてみましょう。
 まず、論理的に考えてもドラえもんの最終回が「植物人間のび太」という「夢も希望もない」内容になり得るはずがない、ということです。なぜなら、ドラえもんのキャッチフレーズである「夢は無限」という言葉に反するからです。この程度の論理は、論理学の専門家ならば誰でも組み立てられるはずなのですが、どうも世の中には「論語読みの論語知らず」な論理学の専門家もいるようでして…。
 また「ほんのひと時の夢でした」という他の漫画が実際にあることも理由の一つだと思います。新沢基栄氏の「3年奇面組」及び「ハイスクール・奇面組」がそれです。一堂零率いる5人の個性的なキャラクターが活躍する学園もののギャグマンガですが、実はこの「ハイスクール・奇面組」の最終回こそが、このマンガのヒロイン河川唯(かわ・ゆい)の「ほんのひと時の夢」ということが判明する回だったのです。「ドラえもんの最終回のデマ」も、恐らくこれらに乗じて出来たのではないかと思います。
 尤も、デマの中には「許せる」デマもあります。要約すると、「ある日ドラえもんが動かなくなり、のび太がそれ以来ドラえもんを修理しようと科学者になるために猛勉強を始めた。やがて静香と結婚し、ある日妻の静香にすら立入禁止だった研究室に静香を呼び寄せ、ドラえもんのスイッチを入れる…『のび太君、もう宿題はすんだのかい?』というかつての光景が再現され、静香は涙が止まらなかった…。つまり、ドラえもんの生みの親はのび太だったのである。」というデマです。これもデマに相違ありませんが、ラストがめでたいだけに他のデマとは一線を画すべきでしょう。

 …それにしても、何が本当で何が嘘かも自分で調べようとせずに噂を鵜呑みにするような輩はいつの世にもいるということなのかもしれませんね。

2006/08/07


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