夢は無限、そして夢は永遠(藤子・F・不二雄氏没後10年を偲んで)


 今日は何の日でしょう?もちろん秋分の日でもありますが、この批判のタイトルをご覧ください。
 …そうです。ドラえもんの原作者藤子・F・不二雄氏の没後10年にあたる日です。

 藤子・F・不二雄(本名:藤本弘)氏は、1933年富山県に生まれた。そして、1996年の今日、62歳という若さで亡くなった。
 藤子・F・不二雄氏のデビュー当時、藤子F氏は漫画界の巨匠とも言われた手塚治虫(本名:手塚治)氏に憧れた一人の青年だったが、今では憧れていた人を超えてしまった点もある。それは、世界的に有名なアニメキャラを誕生させたという点だ。手塚治虫のアニメキャラも世界的に全く無名というわけではないが、ドラえもんと比べられてしまっては知名度の低さが桁違いなのは一目瞭然であろう。
 ドラえもん誕生秘話を見る限りでは、ドラえもんは、当時の藤子・F氏の飼い猫と藤子・F氏の娘さんの人形から“間に合わせ”で作られたキャラクターだったようだが、まさかその“間に合わせ”が『世界の』ドラえもんになるとは、当の本人すら夢にも思っていなかっただろう。
 原作者が没して10年経った今でも、『世界のドラえもん』は衰えるどころかより人気を博している。それはなぜだろうか。
 その理由は、わざわざここで述べるまでもないだろう。「夢は無限、そして夢は永遠」だからだ。21世紀の今日、物が豊かになった反面、人間の心や夢はそれとは反比例―いや、マイナスの比例になってきている。そのような世の中にこそ必要なアニメではなかろうか。どこぞの驕り高ぶった輩のように「自分がどれほど優れているかを見せてやろう」などというのではなく、ただ夢を夢のまま表現した。そんな本人の想いが『世界のドラえもん』になったとも考えられる。子供の「無限の夢」「永遠の夢」は昔も今も変わらない。
 “世界の俳優”とやらも、当人が死んでからは人々の記憶から忘れられつつある。せいぜい「没後何周年」の追悼で思い出してもらえる程度だ。しかし、ドラえもんは違う。ドラえもんの生みの親は既にこの世にいないが、ドラえもんは今でも人々に語り継がれている。少なくとも、どこかの“不滅”とやらの球団より先には滅びたりはすまい。

 ドラえもん―無限の夢、そして永遠の夢―の生みの親は『のび太』である。

2006/09/23


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