遅咲きの猛者達


 「成功することばかりが能ではない」――私がこの言葉を確信したのは、紆余曲折を経て一定の成果を出した人に因る。
 マスメディアは「史上最年少」記録を見ると馬鹿のように飛びつく。しかし、私は逆に「史上最年長」と言われる遅咲きの猛者に興味を持つ。
 最近の例を挙げれば、30年間の辛抱の末漸く成功を収めた綾小路きみまろが有名であろう。
 一時「盗作」を指摘されたが、さすが30年間の土台を持つ人は違う。うまく解決するどころか、それを己の武器にしてしまうほどのすごさである。「禍い転じて福となす」の模範的な例が彼の「盗作」疑惑だろう。
 私の高校時代に一番好きだった力士は、何と言っても元幕内琴別府関である。
 琴別府関は、一旦十両に上がったものの、病気で1年間休場してその間に西序の口39枚目にまで陥落した。そして、医師からも「もう相撲は辞めたほうがいいかも」と言われたにも関わらず、艱難辛苦を乗り越え、平成4年秋場所に十両優勝を果たし、新入幕を確定させた。このとき、私は誰が幕内優勝したかなど覚えてはいないし、知る気など全くない。当時の私にしてみれば、十両優勝した琴別府の価値に比べたらそのとき幕内優勝した力士の価値などゴミクズ同然であった。当時は異性との人間関係で精神的にさんざん打ちのめされていたので、琴別府の十両優勝を見て「琴別府はよく頑張ったな。私も琴別府の見た地獄に比べればまだまだだな。」と少し気持ちが安定したほどだ。
 このような快挙を称して、琴別府を「相撲界の不死鳥」と呼ぶ人も出て来た。なるほど、確かに不死鳥琴別府だ…。
 だが、その不死鳥琴別府の上を行く「遅咲きの猛者」が存在した。
 最近話題となっている、5月に十両デビューした出羽の郷関である。苦節19年というのであるから、その労苦は琴別府のそれを上回るであろう。こういった「史上最年長」記録の塗りかえの方が非常に興味深いものがある。もちろん、無駄に遅れて良いという意味ではなく、躓きを全く経験せずに昇格した輩よりは紆余曲折を経た人の方が人間的に厚みもあるという意味である。
 これで話が終わりかと思いきや…実は、そのまた上がいたのである!
 現役最年長力士の一ノ矢関である。
 20年間関取経験が一切なく、年収52万円と言われている一ノ矢関。
 これだけでも、語りつくせぬものがある。成果が全く出なくても、何かを見出そうとして続けるという姿勢を見て、私は「1〜2年続けても自分の思い通りにいかなかったこと」について反省させられた。私が「努力が報われない」などと悩んだら、恐らく一ノ矢関に怒鳴られるであろう。たとえ怒鳴られはしなくても、彼の話を聞いた後私は恥ずかしくて何も言えなくなるであろう。
 将棋の棋士で例を挙げれば、何と言っても年齢制限ギリギリでプロ四段となった伊藤能五段が挙げられる。彼の対局を見ているとその粘り強さが見られるが、それもそうであろう。あと1期昇段が遅かったら彼はプロ棋士を廃業しなくてはならなかったのだから。
 それに関連した内容で最近話題になっているのが、元アマチュア棋士の瀬川晶司氏である。彼は最初プロ棋士を目指していたが、年齢までにプロ四段になれずやむなく廃業した。しかし、どうしても将棋の棋士を諦めきれず、せめてアマチュアとしてでも続けようとアマチュアのタイトルを獲得し続けていた。そして、特例でプロ棋士デビューを果たしたのである。トントン拍子にプロ四段になっていたら絶対に得られなかったものを得て彼はプロになった。これによって、日本将棋連盟が良い方向に大きく変わるのは間違いないだろう。あとは、瀬川氏の努力と実績次第だが。
 将棋のプロ棋士など、一定期間(一定の年齢まで)で一定の地位に到達していなければ廃業する決まりになっている世界もあるが、その年齢に達する前に、気力がなくなって自分から辞めて行ってしまう人がほとんどであろう。しかし、一旦引導を渡されても諦めきれずに努力を続けた結果、別の形でそれが報われるという人も少なくない。私は史上最年少如きよりもこういった遅咲きの猛者達を奨励したい。
 己の師とするならば、「史上最年少」よりも「史上最年長」の方が良い。「自分の教えているように出来て当たり前、出来なかったら死んだ方がまし」などという態度で指導する者をとても師などとは呼べない。「躓いた経験のない者」が人に物を教えることなど到底できない。むしろ、私は「遅咲きの猛者」といった「躓き」をよく知っている人に教えを乞うべきだと思う。たとえ理屈抜きに怒鳴られても、そこには「そのようなことをすると(自分みたいに)しなくても良い躓きをしてしまうから改めろ」という意味が含まれているのだから。
 「史上最年少」や「史上最速」は、一旦落ち目になったらあとは急激な下降線をたどる一方となる。それは「努力すれば報われて当然」という習慣が致命的な程染み付いていて、うまくいかなくなったときに「躓きのツケ」が大量に流れ込むからである。逆に、「史上最年長」の方は、その程度のことはこれまでに何度もあったので、本当の意味で痛くも痒くもないほどの耐性が出来ている。綾小路きみまろの「盗作」疑惑も、もし彼が「史上最年少」の類だったらその時点で二度と這い上がれない状態になっていたに違いない。
 無論、しなくても良い遠回りはしないに越したことはない。しかし、不測の事態―特にあまり好ましくない事態に遭遇したとき、勝つのはほぼ100%遅咲きの猛者達の方である。

 〜回り道だったけど、病気をして良かった。あれがなかったら、もうベテランと言われて、終わりに近づいていたに違いない〜 (琴別府要平)

 私の好きな言葉「成功することばかりが能ではない」は、この琴別府関の言葉が元になっているのである。
 まさに、拙速巧遅に如かず―である。

2005/06/19


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