高校時代の先生


 私の高校時代は、何と言っても教師に恵まれたということが挙げられるだろう。もちろん、教師の全員が全員良かったというわけではないが、私は「私にとっての当たりくじ」の先生に恵まれた。中でも、「この先生なくして今の私はありえない」程の先生と出会ったことが大きい。
 その先生は、私の名前の本当の意味を教えてくださった。
 勿論、私の名付け親はその先生ではない。しかし、私の名前をつけた父が「産みの親」とするならば、私の名前の意味を教えてくださったその先生は「育ての親」と言うところだろう。『産みの親より育ての親』という諺は、少なくとも私の名前に関して言うならば当たっているようだ。尤もその先生はかつて時々私の名前の漢字を間違えていたのだが…。
 その先生のお陰で、当時苦手としていた科目も興味を持つようになった。テストで点数を取れる云々よりも大切なことだった。倫理的なことや歴史的なことにも目を向けるようになったのだ。
 思えば、私は高校時代あまり成績の良い生徒とは言えなかった。しかし、普通なら欠席するであろう程の高熱を出しても一日も休まず(体育も見学せず!)皆勤を見事に成し遂げた。当時の高校一年生のクラスで、3年間皆勤賞を成し遂げたのは私1人だった。
 私の高校は公立高校なので、その先生はもう他の高校に移られてしまったが、高校を卒業してだいぶ久しくなった今も年賀状のやりとりが続いている。学級担任よりも関わりが深かったのを覚えている。

 願うことは叶うこと――少しでも志(こころざし)を

というのが、その先生の願いだそうだ。

2005/06/10



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