名言=迷言?


 この世には、先人の遺したとされる様々な「名言」がある。響きの良いものもあれば、奇を衒(てら)ったもの、そして意外なものもある。だが、「成功者」たちの遺した言葉はすべて「名言」なのだろうか。
 よくあるパターンとしては、成功を収めた者が言うごくありきたりな言葉(努力は報われる、など)が全て後世への「名言」となってしまうが、私は素直にそれを受け取れないことがある。と言うのも、「成功者」たちの言葉は結果に結びつけるためだけにしか存在していないことが多いからだ。
 物事を成功する前からその言葉を言い続け、その言葉が心の支えとなって成功を収めたのであれば、その言い続けた言葉は間違いなく名言である。しかし、そのような事例は決して多くなく、「成功」を収めてから振り返ってみて、とってつけたような「名言」が多いのが現状である。結果が出ているので、論理学的には何を言ってもそれは「本当のこと」になる。だから理に叶わぬ言葉でも「名言」になってしまう。即ち「迷言」が「名言」にすり替わってしまう。残念ながら、そこに気づく者はそう多くはない。
 私の座右の銘「成功することばかりが能ではない」は、実は大学のある必修科目が不合格だったときに自分自身で発した言葉だった。当時は負け惜しみのようにも思ったが、この言葉を信じて私はその必修科目を再履修した。そうしたら、その必修科目を素晴らしい成績で合格したばかりか、他の必修科目にまで良い効果を齎(もたら)したのだ。もしまかり間違ってその科目が合格だったりしたら、私は間違いなく他の必修科目を落としていた(不合格だった)。順風満帆のときが100%の出来ばえとしたら、必修科目が不合格だったことによりその出来ばえは120%以上になったことになる。これこそが「成功することばかりが能ではない」の真髄だ。
 真の名言は、成功する前から言い続けなくてはならない。成功した後に初めて言った言葉などただの「後付け」であり、こんなものは名言でも何でもない。むしろこれは「迷」言だ。名言か迷言かを判断する力を養いたい今日この頃である。

2015/03/30


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