能力での評価と人間性での評価


 小学校の通知表から始まり、中学、高校、大学、更には会社にまで及ぶ「評価」。「評価する」側は、決まって先生や上司、経営者など立場が「上」にある方で、生徒や部下、雇用人など立場が「下」にある方は、常に数値で「評価される」側にあります。
 しかし、それは飽くまでも成績などの能力面での評価に過ぎません。能力面での評価はよい数字を残しただけの表面的な評価です。その結果、誤った人物を適切ではない役職に任命するといったことも少なくありません。
 なぜこんなことが起こるのでしょうか。理由は色々あります。そのときはたまたま成績が良かったとか、あるいはただ単に運が良かったとかもあるかもしれませんが、しかし、もっと深く掘り下げると意外に軽視されている評価が出てくるのです。
 その評価とは、「下」の者が「上」の者に対する評価でしか見えない、という「人間性」の評価です。学校の教員や組織で一番「上」の者は、自分たちが評価する心構えはあっても、自分たちが評価される心構えは案外ないものです。
 真の評価とは「能力」の面での評価ではなく「人間性」の面での評価だということに気づくか気づかないか、この差は大きいと思います。私の高校時代の先生は「人間が人間を評価するなんて本当は嫌だけれど仕方なくつけている」とおっしゃっていました。多分高校時代の先生は、裏を返すと「先生が生徒に評価されている」ということがわかっていたことだと思います。
 「人間性」の評価というのは本当に恐ろしいものです。仮に能力面で多少及ばずとも人間性が優れていれば救いの道はあります。しかし、逆はそうではりません。いかに能力面で優れていても、人間性の面で評価されなければ「こんなことも出来ないのか」ということになってしまいます。
 確かに「能力」での評価は大切です。しかし、真の評価とは、内面の評価、いわば「人間性」の評価であることを強く感じる今日この頃です。

2008/02/10


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