なぜ立場が「上」なのか


 私は自ら批判屋などと名乗っている以上、飽くまでも中立的な観点から物を見て批判する必要がある。しかし、私とて時には感情が先走ることもある。そのような場合には批判は避けている。少し感情がおさまってから批判をするようにしている。そんな中で考えてみたことを述べることにしよう。

 今時分は、卒業の季節だろう。今回は、今年あらたに就職した人向けに書いてみることにする。
 新しく職場に勤務した際、まず多くの人が「上」の立場の者との考え方の違いに悩むであろう。例えば、かつては自分も学生だったくせに「いつまでも学生気分でいるなよ。」などと言う「上」の者もいるかもしれない。「上」の者に何か言われた時「こいつ偉そうに」と思うことだろう。更に「下」の者には色々な注意をしているくせに自分に甘い「上」の者を見たとき「なぜこんな奴が上司なんだ」と思うときがくるだろう。
 「上」の者に対して不満を持つのはごく自然のことであって、私はそれを「お前のためを思って言っているんだ」などという気は微塵もない。しかし、それではこの批判の題目の答えになっていないので、私なりの答えを述べてみることにしよう。
 この疑問の答えはこうである。
 「上」の立場にある者は、何かしらのとりえがあり、そのとりえがその組織で通用しているのである。例えば今の社長がとても有能とは思えなかったとしても、何かとりえがあるからその地位に居座っているのである。例えば「先代社長の息子だから」というのがとりえである。それが良い悪いというのは別の次元の話である。つまり「無能な」上司は存在しても「とりえのない」上司というのは存在しないのである。
 無論、立派なとりえを持っている「上」の者もたくさんいる。そうでなければその組織は弱体化の一途をたどるだけなのだから。
 では、「理不尽」なとりえはどのように対処すればよいのだろうか。それは「理不尽」な点を指摘して分析し、それが組織にとってどれだけマイナスになる(なっている)かを訴えるところに訴えるなどすればよいのである。「嫌な上司」がいるということは「いい上司」がいるということでもある。
 「社会人一年生」というのも一生に一度だけである。だから「一年目」にしか気づけないたくさんのことに気づいた人の勝ちというのもあると思う。

 このページをごらんになった「社会人一年生」の方にとって少しでも心の救いにでもなれば、と思います。

2007/03/04



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